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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.19

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.19

 

地球と私のパラレルワールド『わが星』

地球ちゃん役のキム・ヒジョンと姉役のチョ・ハナ

日本の演劇関係者と話をすると、時々、韓国演劇は助成金制度が日本より充実していると言われたりします。大学路の多くの作品が国からサポートを受けて上演していることを考えると、ある意味、それは本当かもしれません。特に、毎年1月には上演作自体は少なくなる代わりに、厳しい審査を受けて生き残った期待の新人の作品が集中的に上演の機会を得ます。その中でも、代表的なプログラムが「NEWStage」ではないかと思います。

「NEWStage」は、ソウル文化財団ソウル演劇センターがデビュー10年未満の若手に対し、作品の創作から上演までをサポートするプログラムです。公募を通して選ばれた3~4人の若手演出家は、上演劇場が提供されるだけではなく、中間発表の場でフィードバックももらえ、宣伝までも担当してもらえる貴重な機会を得るのです。そのため、応募作も多く、競争が激しいのはもちろん、特にこれまでは創作劇(オリジナル演劇)が選考対象になっていました。

このプログラムに今年は、4人の若手演出家の作品が選ばれました。
①イ・ヨンジュ(이연주)『電話のベルが鳴る(전화벨이 울린다)』(1月5日~8日 トンスンアートセンター トンスン小劇場)
②キム・ジョン(김정)『お客たち(손님들)』(1月12日~15日 トンスン小劇場)
③イ・ウンソ(이은서)『I’m an artist』(1月14日~18日 萬里洞[マンリドン]芸術人住宅)
④シン・ミョンミン(신명민)『わが星(우리별)』(1月19日~22日 トンスン小劇場)
①コールセンターの労働者問題、②親を殺した少年の事件、③芸術家の視点から見た育児の問題など、4作品のうち、3作品は今の韓国社会の空気を反映するような作品が選ばれました。そして今回ご紹介する4番目の作品だけが、他の作品とは違い、何も起こらない日常を明るく楽しく描きます。きっと最後は作り手にも観客にもみんな笑顔になってほしいからでしょう。しかし、それよりも本作品にもっと注目すべき理由があるのです。「NEWStage」では珍しく、日本演劇の翻訳劇が選定されたからです。

地球ちゃん一家(写真左から、おばあちゃん役イ・セロム、地球ちゃん、姉、母役キム・スア、父役パク・ギドク)

『わが星』は、日本で2009年に初演された、劇団「ままごと」を主宰する柴幸男作・演出の作品です。彼はこの作品で、岸田戯曲賞を最年少で受賞しました。再演とワークショップを繰り返している作品ですので、日本でご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。本作の大きな特徴は、多くの台詞がラップになっていることです。口ロロ(クチロロ)というバンドと一緒に作ったそうで、そのためかこの作品はまるで一つの歌のように構成されていて、見終わった後もずっと頭の中で劇中のメロディーが流れてしまいます。今回の韓国版では、新たに若い韓国の音楽監督を招きました。戯曲の設定を韓国人の物語にする以外は、セリフなどはほとんど変えず、韓国語に合わせたラップを作りました。

地球ちゃんと月ちゃん役のホ・ジン

物語は、“地球”という少女の一生と、わが星である地球の誕生から消滅までをリンクさせた内容です。コスモス団地に引っ越してきた地球ちゃん。彼女には祖母、父、母、姉の家族がいます。いつもうるさくて、喧嘩もよくするんですが、いつの間にか仲直りして……と、こんな毎日を繰り返しています。地球ちゃんには、隣に住んでいる月ちゃんという友達がいます。二人は毎日のように遊んでは喧嘩し、また仲直りして遊んでいますが、徐々に二人の距離は少しずつ離れていきます。

同じ形の建物が並ぶ団地、でもその中にある、遠くから見てもすぐ分かる我が家の明かり、友達に送った手紙、誕生日プレゼント、父の帰りを待っている母、祖母が教えてくれること、姉ちゃんとの喧嘩、受験勉強などなど。決して特別ではないけれど、地球ちゃんにとっては大切な記憶が繰り返されたり、その記憶自体が遊びになったり、いきなり宇宙に飛んでしまったりする不思議な体験です。それを見ている観客の人生まで美しく輝く、魔法のような100分間。普段は感じ取れない日常の小さい幸せにメロディーをつけるために、演出家と俳優は細かいところまで計算しながら、ラップ作りに挑戦しているのですが……セリフは殆ど変わっていないとはいえ、音節の数や音の響きや言葉のニュアンスが違う韓国語版の台本にピッタリのラップを作り出すのは簡単ではありません。たった4日間という短い上演期間が惜しいくらいの苦労をしていて、その努力には大きな拍手を送ってあげたいです!

この韓国語版『わが星』の演出を務めるシン・ミョンミンは創作集団LASの演出部に所属しています。LASについては、私の第9回コラムでも紹介しましたが、大学路で最も期待されている若手劇団で、主宰のイ・キプム(이기쁨)はハイバイの岩井秀人作『て(손)』や、東野圭吾の同名小説が原作の『容疑者Xの献身(용의자 X의 헌신)』を演出し、日本の作品とも縁が深い演出家です(ちなみに、イ・キプム演出の『て』は5月末に大学路アルコ小劇場で再演予定です)。
シン・ミョンミン演出家が日本の戯曲を演出するのは『わが星』で二回目です。『わが星』の戯曲がとても気に入った彼は「NEWStage」に申請した後、勉強のために柴幸男のもう一つの戯曲『少年B』を読み、それを去年の6月、劇団制作公演として先に上演しました。『少年B』は第6回コラムで紹介した作品です。


『少年B』も『わが星』も、ものすごく幸運でもなく、かと言って不幸のどん底を経験したこともない、登場人物たちの平凡な人生を“物語”にしていた作品です。日常の中の何気ない出来事をキャッチし、それを繊細に変奏していきます。特に、劇的な展開や俳優たちの爆発しそうな熱演、社会・共同体としての問題意識が満ちている韓国の演劇界で、この柴幸男の小さな世界は一層特別な存在です。海の向こうから私をずっと見てくれたんだと感じさせる暖かい作品は、きっと多くの韓国の観客から愛されることでしょう。トンスン小劇場で起こる小さな奇跡を、ぜひご期待ください。


【公演情報】
演劇『わが星』(우리별)
2017年1月19日~1月22日 トンスンアートセンター トンスン小劇場

<出演>
●地球:キム・ヒジョン
●姉:チョ・ハナ
●父:パク・ギドク
●母:キム・スア
●月:ホ・ジン
●先輩:イム・ヨンウ
●男:チョ・ヨンギョン

原作:柴幸男/演出:シン・ミョンミン

●創作集団LAS 公式サイト⇒http://www.las.or.kr

写真提供:創作集団LAS ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.18

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.18

 

今ここでしか見られない『デスノート』2017ソウル版!


1月3日からいよいよ、ソウル芸術の殿堂オペラハウスにてミュージカル『デスノート』が再演されます。そして今回も私は稽古場で通訳として活動しています。

ライト役のハン・チサン ©CJeSカルチャー

すでに多くの方がご覧になったと思いますが、制作発表会とショーケースコンサート、ミュージックビデオなどを通して初演とはまた違った公演になることが予告されました。特に、再演で初めて合流したライト、ライトの父である総一郎、ミサミサ、刑事たちのほかアンサンブルは、自分だけのキャラクターを作り出すために、力いっぱい稽古をしています。主要なキャラクター全員が単独キャストで出演するからでしょうか? 俳優たちが作品とキャラクターに集中する姿は、どの現場よりも真剣で強烈です。
日本の同名漫画を原作にしたミュージカル『デスノート』は、フランク・ワイルドホーンの美しい音楽も有名ですが、何よりも”ノートに名前が書かれると死ぬ”という奇抜な設定で、善と悪の境界を行き来する二人の天才の頭脳対決が魅力的なドラマを構築します。

L(エル)役のキム・ジュンス ©CJeSカルチャー

 

この世界を描くために、今回新しくライトを演じるハン・チサン(한지상)は、ミュージカル『フランケンシュタイン(프랑켄슈타인)』『ザ・デビル(더 데빌)』、演劇『レッド(레드)』などで演技力と歌唱力の両方を認められた俳優です。彼は劇全般にわたって少しずつ現れる、ライトの変化を繊細に表現しています。高音が得意な俳優なので、特にLを演じるキム・ジュンス(김준수)と、互いに正体を隠してテニスをするシーンでは、こんな歌だったっけ!? と驚くほど、初演の時には味わえなかったエネルギーを感じられると思います。

一方、兵役に行く前の最後の作品ということで、誰よりも負担と期待を抱えているキム・ジュンスは、初演当時、原作のLのキャラクターを超えて、キム・ジュンスしか出せないユニークな人物像を誕生させたと評価されました。初演に作り上げたLをまた丁寧に蘇らせながら、同時に新メンバーたちと細かい部分を共有しながら、新たな発見をしていく演じ方は無邪気です。こんな様子は2年後には、もう見られないかもしれない姿ですね。

海砂(ミサミサ)役のBEN ©CJeSカルチャー

新メンバーの中で、原作キャラクターと100%のシンクロ率を見せるのは、人気アイドル、ミサミサ役の歌手BEN(벤)です。ミュージカルは初挑戦だそうですが、彼女のそばにはいつも死神レム役のパク・ヘナ(박혜나)がいます。稽古からミサの傍らで彼女を見守ってあげているレム……二人の切なくて美しいシーンは、間違いなくこの作品をより豊かにするでしょう。

もう一人の死神リュークは、今回もやはりカン・ホンソクが務めますが、今回は少し変わったリュークを見られるのではないかと思います。いつも通り愉快な姿の裏に、死神としての恐ろしい一面が時々現れるからです。一方、とても優しいライトの父である総一郎役のソ・ヨンジュ(서영주)は、優しさとともに持っているカリスマ性を発揮し、出番は少ないにもかかわらず、強い存在感を見せると思います。
準備は万全です。これからは客席の反応を待つことだけが残っています。

日本の皆さんもご存知のように、10月から韓国社会は混乱の中に落ちています。あちこちの劇場から観客がいないと心配の声が聞こえています。映画よりももっと映画のようなニュースが毎日流れていて、市民たちは劇場ではなく街に出ています。それは単純に、誰か一人に対する憎悪のためではありません。悪い事故はいつでも起こるし、悪い人はいつでも過ちを犯します。問題は誰もそれを防ぐことも処罰することもできなかったことです。悲惨な事故が起こっても誰も救ってくれない状況が繰り返されていて、検察、法律、国家システムへの信頼が崩れてしまい、市民たちはそれが見ていられなくなったのです。

死神レム役のパク・へナ(左)と死神リューク役のカン・ホンソク ©CJeSカルチャー

現在の状況を考えると、「本当の正義はどこだ!」と叫んでいるライトとLと群衆の声に力が入っているように聞こえるのは、当然のことかもしれません。実際に、稽古場の中でも休憩時間になると、例外なく誰もが携帯でニュースを見ていたし、稽古が早く終わる土曜日には、ロウソクデモに参加するために光化門広場に向かう人もいました。まさに、“もし今ソウルの光化門にデスノートが落ちるとしたら……?” そんな想像をしながら、『デスノート』2017ソウル版は作られているのです。
いろんな意味で今回の『デスノート』は、今のここ韓国じゃないと見られない公演になるでしょう。この機会を逃さないように、そしていつもよりももっと期待していただけたらと思います。


【公演情報】
ミュージカル『デスノート』(데스노트)
2017年1月3日~1月26日 芸術の殿堂オペラ劇場

<出演>
●夜神月(やがみライト)役:ハン・チサン
●L(エル)役:キム・ジュンス
●弥海砂(あまねみさ)役:BEN
●死神レム:パク・へナ
●死神リューク:カン・ホンソク
●夜神総一郎:ソ・ヨンジュ
●夜神粧裕(やがみさゆ):イ・スビン

プロデューサー:ぺク・チャンジュ/音楽:フランク・ワイルドホーン/脚本:アイヴァン・メンチェル/作詞:ジャック・マーフィー/演出:栗山民也/助演出:オ・ルピナ/音楽監督:キム・ムンジョン

写真提供:CJeSカルチャー ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.17

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.17

 

韓国語版『女優の魂』そして、『続・女優の魂』

joyunotamasii1今年の1月、私のほか、演出家マ・ドゥヨンと翻訳家マ・ジョンファがメンバーになっている劇団ディレクターグ42は、大学路の恵化(ヘファ)洞1番地という劇場で、『岡田利規短編小説選―女優の魂、続・女優の魂』(오카다 토시키 단편소설전-여배우의 혼, 여배우의 혼 속편)という演劇を上演しました。
これは、岡田利規が2012年に『美術手帖』で発表した短編小説「女優の魂」と、新しく執筆中の未発表/未完成の小説「続・女優の魂」の一部をひとつの演劇作品にしたものでした。「女優の魂」は、日本で佐々木幸子による一人芝居として舞台化(2012年、横浜STスポット初演)されたことがありましたが、韓国版では女優一人と美術作家一人が出演する、パフォーマンスとインスタレーションをミックスした二人芝居として制作しました。

この演劇が11月23日から27日まで、東京・アトリエ春風舎にて上演されます。韓国の演出家と俳優による韓国語上演で、日本語字幕が提供されます。この公演が実現できたのは、日本では岡田利規の戯曲が他の演出家によって制作された事例はほとんどなく、珍しいからではないでしょうか? その理由は、作・演出家としての岡田利規の世界/芸術観が非常にユニークで堅固なもののため、彼の戯曲を読んで新しい演出を試みることがなかなか難しいからかもしれません。個性の強い岡田利規の演出は韓国でも話題となり、多くの若手アーティストや舞台関係者が刺激を受けました。そのためか、1月の本作品上演後、韓国のある評論家が、翻訳とドラマターグを務めた私に「これは岡田作品の演出らしくない!」とわざわざ電話してきたくらい、演出家の岡田利規は韓国でも愛され、支持されているのです。

この作品には、約10年間、演劇俳優をしてきた女優小山サダ子が登場します。彼女は自分の職業を愛していますが、もう続けることはできません。何故ならば、死んでしまったからです。彼女に役を奪われた後輩の女優が彼女を嫉妬し、殺してしまったのです。仕方なく死後の世界に入ろうとしたとき、彼女はそこで、芸術家になりたいけどなれなくて、しかも芸術家の意味もわからずに自殺した男性、和歌山に会います。二人は死後の世界への転入申告をするために書類を書きます。そのなかに、職業を継続することを希望するか/しないかを問う質問を発見する二人。女優を続けられることが嬉しい小山。一方、和歌山は「人種を変えることはできるか?」と聞きます。彼は日本人のままならば、芸術家を希望しないというのです。

joyunotamasii2「女優の魂」はここで終わります。実は真剣な話をこんなに愉快な想像力で描き出すことができるなんて! と、驚きつつ、演出家マ・ドゥヨン、女優チョ・アラ、美術作家イ・サンホンはこの小説を舞台化しながら、たくさん話し合いました。いくつかの単語だけ変えれば、自分自身を見ているような生々しい物語だからです。私たちは公演を準備しながら約40分の「女優の魂」とともに上演するもう一つの作品を探しました。この願いに答えてくれたのは、やはり作家の岡田利規! ちょうど続編を書く予定だったと話してくださり、「続・女優の魂」の原稿を少しずつ送っていただきました。その原稿には、死後の世界で大劇場の舞台女優になり演技を錬磨する小山がまた登場します。そして落ち込んだ状態から逃れられず、さらに奈落の底に落ちてしまった和歌山がもう一度蘇る過程が描かれます。死後の世界では、また書類を出せば生き返ることも可能だったのです。

1月の韓国初演では、演劇・芸術をめぐる愛情、風刺、皮肉が効いたブラックコメディーとして客席を揺らしました。レビューのなかには「現実的な論理を軽く超えてしまう自由な想像力が、すっきりした気分を感じさせる」「自分たちが持っているものを自由に表現し、観客に声をかける方法を知っている劇団だ」(演劇評論家キム・オクラン/月刊『客席』2016年3月)というような劇評も出て、とても嬉しかったです。俳優、演出家、美術作家、翻訳家だけではなく、舞台・衣装・照明デザイナーまで、「私たちそれぞれが、自分の芸術を精一杯やっていますねー」と言い交わしたくらい、私たちは50席しか置かれていない小さな劇場のなかで、無限に自由を感じることができたのです。
10カ月ぶりの再演となる日本公演では、少し形を変えていますが、日本の観客の皆さんが岡田利規の演出を見られない失望の代わりに、“作家”岡田利規が生み出した鋭くて奇抜なセリフから新しい発見ができる機会になればいいなと思っています。もし、まだ岡田利規の作品をご覧になったことがないようでしたら、何の先入観もないうちにこの愉快な作家による死後の世界を満喫していただけたら嬉しいです。ご期待をよろしくお願い致します。

韓国語翻訳版「わたしたちに残された時間の終わり」

余談ですが、1月の韓国初演を見に来てくださった観客の中には、韓国の出版社アルマの方々もいらっしゃいました。岡田利規の作風にひとめぼれしたという出版社の代表から、翻訳・出版の提案をいただき、異例の猛スピードで今年の8月に『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(우리에게 허락된 특별한 시간의 끝)韓国版を出版しました。韓国で出版された初の単行本であるこの本のカバーは、和歌山を演じた美術家イ・サンホンがイラストを担当しました。(そのイラストはシールにもなりました)この単行本を始め、岡田利規の小説はこれからも韓国で翻訳し紹介されていく予定です。


【公演情報】
フェスティバル/トーキョー16連携作品
ディレクターグ42
岡田利規 短編小説選 『女優の魂』『続・女優の魂』
2016年11月23日~11月26日 アトリエ春風舎(⇒劇場アクセス)

<出演>
チョ・アラ/イ・サンホン

原作:岡田利規/演出:マ・ドゥヨン/翻訳・ドラマターグ:イ・ホンイ

●こまばアゴラ劇場公式サイト⇒ http://www.komaba-agora.com/play/3685

写真提供:ディレクターグ42 ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.16

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.16

 

ハムレットとして生まれ、ジュリエットを夢見る女『ハムイク』

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キム・ウンソン脚本家 ©ドゥサンアートセンター

今回は、今月、韓国演劇界で最も注目されている人を紹介したいと思います。劇作家キム・ウンソンです。彼の新作『ハムイク(함익)』(演出:キム・グァンボ 김광보)が9月30日から世宗(セジョン)文化会館Mシアターで、そしてもう一つの新作『サンシャインの戦士たち(썬샤인의전사들)』(演出:ブ・セロム 부새롬)が9月27日から、ドゥサン・アートセンター スペース111で上演されるからです。2作とも評論家と観客の両方から今月最高の期待作と言われています。

話題の主人公キム・ウンソン(김은성)は、1977年生まれ。2006年『シドン仕立て店(시동라사)』でデビュー以来、『スヌ伯父さん(순우삼촌)』(2010)、『延辺母さん(연변엄마)』(2011)、『月の国連続ドラマ(달나라연속극)』(2012)、『ロプンチャン流浪劇場(로풍찬유랑극장)』(2012)、『木蘭姉さん(목란언니)』(2012)、『ぐるぐるぐる(뺑뺑뺑)』(2014)等々、数多くの話題作を発表してきた劇作家です。特に、脱北して韓国に来た女性を主人公にした『木蘭姉さん』は日韓演劇交流センターが主催する「韓国現代戯曲ドラマリーディング」(2015年1月 世田谷パブリックシアター シアタートラム)で、日本語朗読上演され、両日満席を記録するほど日本の観客からも多くの支持を得ました。この『木蘭姉さん』のように彼のオリジナル戯曲も高く評価されていますが、彼が最も得意とするのは、西欧の古典戯曲を現代韓国社会に置き換え、緻密でユーモア溢れる脚色バージョンを書き上げることです。チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を『スヌ伯父さん』に、リュボミル・シモヴィチ(Ljubomir Simovic)の『ショパロヴィチ流浪劇団(The Traveling Troupe Sopalovic)』を『ロプンチャン流浪劇場』に、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を『月の国連続ドラマ』にと、有名な原作を全く新しい作品に変身させる奇抜さは、ほかの作家は真似できない彼の武器です。今月の新作のなかでも、その系譜を継ぐ作品があります。シェイクスピアの『ハムレット』を脚色した『ハムイク』がそれです。

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『ハムイク』の主人公ハム・イク役のチェ・ナラ(左)と、幻覚のなかに登場するもう一人のハム・イクを演じるイ・ジヨン ©ソウル市劇団

『ハムイク』の最も大きな特徴は、ハムレットを女性にしたところです。韓国の財閥「マハ・グループ」オーナーの娘であるハム・イクは、イギリス留学で演劇(悲劇)を専攻した秀才です。彼女は、マハ・グループ傘下にある大学の教授に就任し、才色兼備な女性として上流社会の注目を浴びます。しかし彼女は長い間、復讐心を胸に秘めています。子どもの頃、自殺した母が、父と継母によって殺されたと思っているからです。しかし父の権威の前では一言も言えない彼女には、婚約者のオ・ピリョンも何の役に立ちません。その代わりに、ボンドを吸って幻覚の中だけで存在するもう一人の自分と会話しながら復讐を夢見ます。そんなある日、大学で『ハムレット』の上演に向け指導している中、ハムレットに夢中になっている学生「ヨヌ」が彼女の目に留まります。ヨヌの登場で、彼女の心は揺れ始めるのです。

先に稽古を見られる幸運を得て稽古場を覗いてみたら、まさに息詰まる100分でした。分厚い台本を消化した26名の俳優たちが、約100分間という短い時間の中に『ハムレット』と今の韓国を生きる人々を表現していたからです。そしてこの世界を作っていくのは、韓国屈指の演出家キム・グァンボです。彼が団長を務めているソウル市劇団は、今年の上半期の定期公演でもシェイクスピアの『ヘンリー4世』を上演して好評を得ましたが、素敵なチームワークは今回も舞台上で輝くだろうと感じられました。

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『ハムイク』制作発表より (写真左から)キム・ウンソン脚本家、ユン・ナム、チェ・ナラ、イ・ジヨン、キム・グァンボ演出家 ©ソウル市劇団

稽古の前には「たくさんの方々が期待してくださっているんですが、実は心配です」と自信なさげに語っていたキム・ウンソンさんも稽古を見ながら感嘆詞を連発!ソウル市劇団の団員でハム・イクを演じるチェ・ナラ、彼女の幻覚の中に現れるもう一人の自分を演じるイ・ジヨンは驚くほどの呼吸で悲劇の主人公を表現していました。また、劇団外から今回特別参加している人気俳優のユン・ナムは、明るく熱心で演技そのものにはまっている、普段の彼とほぼ変わらないようなヨヌを演じていました。三人だけではなく、26名の俳優の一人ひとりの集中力と熱気は本当にすごくて、見ているこちらも緊張するしかなかったほどです。でも決して嫌な緊張感ではなく、この物語の悲劇性にとても似ていて、一層この作品世界に入り込ませてくれました。

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『ハムイク』制作発表より ヨヌ役を演じるユン・ナム ©ソウル市劇団

学生たちに「あんたたちに悲劇がわかる?」と叫んだハム・イクは、結局最後には凄絶に壊れてしまいます。ヨヌを見て揺れ始めた恋心、彼女の陰によって執着やヒステリーのような醜い形になってしまいます。優柔不断なハムレットのキャラクターから彼の女性性に注目し、この作品を執筆をしたというキム・ウンソン。この作品はオリジナルの創作劇だと言ってもいいくらい原作を大胆に脚色していますが、『ハムレット』のストーリーを知った上で観劇すると、より面白くなる作品です。400年前にイギリスで誕生した物語が、ソウルのどこかで実際に今起こっていることと言っても違和感がないほど生々しい物語になっているからです。ハム・イクが客席に向かって、「生きるべきか死ぬべきかは問題ではない。“生きているか死んでいるか、それが問題だ”」と問う、『ハムレット』の有名なセリフを活用したシーンも胸を打ちます。

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『サンシャインの戦士たち』イメージ写真 ©ドゥサンアートセンター

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『サンシャインの戦士たち』チョン・バクチャン(左)と、シム・ジェヒョン ©ドゥサンアートセンター

キム・ウンソンのもう一つの新作『サンシャインの戦士たち』も、韓国の現代史の素顔をそのまま見せてくれる作品です。3年以上の時間をかけて執筆したというこの戯曲は、娘を失った小説家を主人公にし、彼の目に映る、繰り返される歴史の悲劇を描いています。彼が主宰する劇団「月の国椿の花」によって上演されるこの作品は、彼がドゥサン・アートセンターのヨンガン財団から受賞した「第3回ドゥサン・ヨンガン芸術賞」の副賞として企画・制作されました。ドゥサン・アートセンターは若手アーティストを継続的にサポートする活動をしているのですが、彼はそのサポートを受けている一人でもあります。今後ドゥサン・アートセンターが制作した彼の代表作『木蘭姉さん』もオーディションを行い新メンバーによる再演を計画しているそうですので、これからのキム・ウンソン脚本家とドゥサン・アートセンターのパートナシップにもご注目ください。


hamikposter【公演情報】
演劇『ハムイク』(함익)
2016年9月30日~10月16日 世宗文化会館Mシアター

<出演>
カン・シング、チェ・ナラ、イ・ジヨン、ユン・ナム、ファン・ソンデ、パク・ギドク、グ・ドギュン、イ・ウォニ、キム・ドゥボン、キム・スア、ナ・ソクミン、ソン・チョルホ、チョン・ウンジョン、イ・ジョンジュ、チョン・ボヨン、イ・セヨン、パク・ジンホ、ホ・ヒョホン、チョン・ソクファン、チョン・ユジン、ユ・ウォンジュン、ハン・ジョンフン、パク・ヒョン

脚本:キム・ウンソン/演出:キム・グァンボ/音楽監督:チャン・ハンソル/振付:クム・ベソプ/美術:パク・ドンウ/衣装:ホン・ムンギ/ヘアメイク:イ・ドンミン


sunshineposter演劇『サンシャインの戦士たち』(썬샤인의 전사들)
2016年9月27日~10月22日 ドゥサン・アートセンター Space111

<出演>
ウ・ミファ、キム・ジョンテ、イ・ファリョン、クァク・ジスク/クォン・テゴン・チョン・バクチャン/チョン・セビョル/イ・ジへ/シム・ジェヒョン/チョ・ジェヨン/ノ・ギヨン/チャン・ユル/パク・ジュヨン

脚本:キム・ウンソン/ドラマターグ:ソン・ウォンジョン/演出:ブ・セロム/美術:パク・サンボン/照明:チェ・ボユン/映像:チョン・ビョンモク/音楽:チェ・ゴウン、ファン・ヒョヌ/音響:イム・ソジン/衣装:ぺ・ウンチャン、リュ・ヘソン/小道具・ヘアメイク:チャン・ギョンスク

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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.15

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.15

 

二人の女優の戦い―『短編小説集』

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演劇『短編小説集』主演のチョン・グッキャン(左)とキム・ソジン

いつからなのか分かりませんが、ソウルの劇場には圧倒的に女性の観客が多くなりました。だいたい20代~40代の彼女たちのために、即ち、彼女たちをターゲットにして作品を制作するのは、今では普通のことになっています。例えば、魅力的な男性が主人公で、ドラマが強い作品が多くなったのです。女優たちは危機感を感じ始めました。それは、自分が演じる役が、定型化した誰かの恋人、姉、妹、母・・・しかないかもしれないという、一種の不安から来たものだと言えるでしょう。去年、本谷有希子作(「劇団、本谷有希子」主宰)の『来来来来来』(この作品も女優6人だけが出演します)の韓国版『데리러 와 줘!(迎えに来て!)』制作に参加した時、出演者の一人から「今回みたいに悩んだり考えたり分析する役をもらったことがないから、とっても嬉しい」と言われ、ショックだったことを覚えています。

tanpen2このような環境のなかで、8月12日からアメリカの作家ドナルド・マーグリーズが1996年に書いた演劇『短編小説集(단편소설집)』が、韓国で初演されます。この作品は私も所属している創作ユニット「DIRECTURG 42」のメンバー、マ・ジョンファがドラマターグを務めている作品です。20年も前に書かれたこの戯曲を今、韓国で上演する理由は何でしょうか? 彼女に訊いてみたところ、やはり「最初に挙げられるのは、女優だけが出演する二人芝居ということです」と答えました。そして「今も女優二人だけが出る作品があまりないです。だから今、この作品を見ると新鮮だと思える。しかも、劇中この二人の関係は先生と弟子です。普通、女性二人の関係がメインに扱われる作品は、母と娘という設定が多かったですよね」と続けました。

確かに、今まで韓国で女性が主人公だった作品を考えてみると、『実家の母(친정엄마)』『お母さんをお願い 엄마를 부탁해)』など、母と娘の関係を描いていました。それでなくとも、女性のキャラクターは、主に誰かとの関係によって葛藤を抱き、決定的な選択をし、癒されたり、壊されたりする作品が多いです。しかし、この『短編小説集』は、登場する人物のプライベートな悩みは一切触れず、二人のキャリアの争いのみにフォーカスを当てています。自身の仕事に対する野望が、大きな事件・葛藤の原因になっているのです。

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稽古場の様子より。人気作家のルース(左)と、学生リサ。師弟関係は当初和気藹々としていたが……

物語の舞台はニューヨークのグリニッジヴィレッジです。成功した女流作家で大学教授でもあるルース・スタイナーのところに、彼女のゼミの学生で作家志望のリサ・モリスンが訪れます。リサは、憧れの作家ルースのアシスタントとして仕事をしながら、彼女のアパートで個人レッスンを受けることになったのです。それから6年が経ち、リサは小説を発表して、新聞に批評も掲載されるようになります。そして、リサが初めて長編小説を書いた後、二人は喧嘩をすることになります。その小説の内容が、ルースがリサだけに話した自分の過去の傷を基にしていたからです。「泥棒だ!」と叫ぶルース、「先生に教えてもらった通りにしただけだ」と言い張るリサ……二人の関係は、壊れてしまうのです。

マ・ジョンファは、「去年、韓国には著名な作家たちの盗作が次々と発覚されて、多くの人々が衝撃を受けました。この作品にも、“盗む”というキーワードが出てきます。ある意味、芸術作品を作ること――つまり“インスピレーションを受けること”は、何か自分のものではないものを持ってくることですね。それはどこまで許されるのか? それを考えさせる作品だと思います。それから、先生と弟子との葛藤というのは、今の韓国社会での世代の葛藤も連想させます。全ての先生は弟子によって必ず何かを奪われます。それは否定できないことです。だからこの作品は“教えるというのは何か?”を問い直す作品でもあります」と話していました。

tanpen4主人公の二人を演じるのは、演劇だけではなく、映画やテレビドラマでも活躍しているという共通点を持っている女優たちです。ベストセラー作家ルース役は、コラム第10回で紹介した、従軍慰安婦を取り上げた演劇『はなこ(하나코)』でレンお婆さんを演じていたチョン・グッキャン。そして、作家志望のリサ役は、ミュージカル『あの日々』2015年公演では司書役を、2014年に韓国版を上演した『背水の孤島』(劇団TRASHMASTERS中津留章仁原作 イ・ホンイ翻訳)では主人公の女性ユウを演じたキム・ソジンです。演技の強弱をうまく調節しなければならない難しい二人芝居で、死に向かっている年老いた人気作家と、成功に向かって疾走を始める新人作家をどのように表現してくれるでしょうか?
さらにこの作品は知的な演出家と評判のイ・ゴン(劇団「的(チョク 적)」主宰、劇団「小さな神話」演出部出身)とのコラボレーションも期待されています。特に彼は、劇中に映像を使う演出家としても知られていて、物語のなかで経過する6年の時間と二人の変化を表現するのに、どのような映像が登場するのか? それもきっと重要な見どころとなるでしょう。彼はコロンビア大学に留学後、主にアメリカの若手作家の作品を翻訳して演劇を制作したり、逆に韓国の優れた戯曲を翻訳して欧米に紹介する活動も行っているのですが、そんな彼が選んだ作品らしく、この戯曲はドラマもキャラクターもとても緻密に描かれています。気鋭の若手演出家が創り上げる本作が、どのように韓国の観客に伝わるかを想像しながら、二人の女優の戦いを応援したいと思います。


tanpenposter【公演情報】
演劇『短編小説集』(단편소설집)
2016年8月12日~8月21日 大学路芸術劇場 小劇場

<出演>
●ルース・スタイナー役:チョン・グッキャン
●リサ・モリスン役:キム・ソジン

原作:ドナルド・マーグリーズ(Donald Margulies “Colledted Stories”)/演出:イ・ゴン/翻訳・ドラマターグ:マ・ジョンファ/助演出:パク・セリョン/舞台:イム・ゴンス/照明:シン・ジェヒ/衣装:チョン・ミンソン/ヘアメイク:キム・グンヨン/音楽:ピ・ジョンフン/音響:イ・ハンギュ、ソ・ヒスク

写真提供:劇団「的(チョク)」 ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.14

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.14

 

今を生きる韓国の若者を慰める言葉「おやすまなさい」

neruna3今年1月、大学路では「素敵な新人が現れた!」という噂が広がりました。その主人公は、若手劇団「偉大なる冒険(위대한 모험)」を主催する俳優・演出家キム・ヒョンフェ(김현회)です。元々「サンスユ(산수유)」(女性演出家リュ・ジュヨン主宰)という劇団の俳優だった彼は、2014年12月、日本で劇団「五反田団」を主催する前田司郎作『偉大なる生活の冒険』をワークショップ公演として上演したあと、劇団「偉大なる冒険」を旗揚げしました。

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1役のキム・ミンジ(左)と、2役で劇団を主宰するキム・ヒョンフェ

彼がこの作品と出会ったのは、2014年に「韓日演劇交流協議会」が主催した「現代日本戯曲朗読公演」の時でした。この協議会は、日本の「日韓演劇交流センター」とともに、隔年で互いの国の現代戯曲を紹介する事業を行っています。毎回5作品を選定して翻訳・出版すると同時に、そのうち3作品は朗読公演として上演しています。当時、佃典彦作/リュ・ジュヨン演出の朗読公演『ぬけがら』に俳優として参加したキム・ヒョンフェは『ぬけがら』と一緒に紹介された前田司郎の戯曲『偉大なる生活の冒険』を読んで一目ぼれ。その時から自らの演出による上演を準備したそうです。そしてその公演は好評を得て、東京でも上演されることになったのです。2015年4月、前田司郎の劇団「五反田団」の拠点とも言えるアトリエ・ヘリコプターにて無事に上演。その後、初演から約2年間の旅程を経て今年1月、再び大学路で上演し、ベテラン演出家並みの巧みな舞台を披露して、「まるで役者ではなく本物の普通の人の生活を見ているようだ」と評判になりました。元カノの家に居候して、ゲームばかりしている男が主人公のこの作品は、将来のことは全く考えていないダメ男が、ついに彼女にプロポーズをするまでの日常を描いています。一見何の希望も情熱もないように見えますが、ただ生きていることが“偉大なる冒険”になってしまう主人公の日常は、今の韓国の若者の自画像を見ているようだと評価され、何よりも、若い観客から大きく支持されました。

その後、彼が劇団の第2弾作品として選んだ戯曲が『おやすまなさい』です。同じ作家、しかも日本人作家の作品を続けて上演することに対し、周りから心配もされたそうですが、彼が今回も前田司郎の戯曲を選んだ理由は、今の自分をありのまま表現してくれる、と言っても単純に劇中人物のキャラクターに似ているということではなく、素直な日常の姿や頭の中の小さな悩みに共感できる作品だと感じるからだそうです。

この戯曲は2003年に前田司郎の作・演出で初演された二人芝居です。登場人物は1と2。二人の性別も年齢も、人物に関する情報は一切書いてありません。ただ、寝ようとしている2と、そんな2が眠れないように邪魔をする1がいるだけです。1は2に、延々と話しかけます。

1:寝るのもったいない、、なんか、なんも出来ないじゃん、寝ちゃうと
2:寝てるじゃん
1:え
(中略)
1:じゃあずっと寝てろって言われたら寝てる
2:寝てる
1:、、、1年とかだよ
2:うん
1:100年とかだよ
2:え、うん
1:じゃあ、100年寝なよ

こんな感じで1時間以上、二人の対話が続くなか、途中でいきなりヒトデや貝などが現れたりして、妙なオフビート感を感じさせます。1は2に、はっきりと「寝ないで」とは言いませんが、その代わり最後にやっと「おやすまなさい」という言葉を投げるのです。この作品のタイトルでもある「おやすまなさい」は、原作者の前田司郎が「寝て欲しくないときのあいさつ」という意味で作った新造語だそうです。韓国版では、この最後の台詞をどう翻訳するか? いろいろと試してみたのですが、作品のタイトルは1の本音をそのまま現す『寝ないで(자지마)』にしてあります。タイトルとしてのインパクトなども考慮しながら、無理やり訳した感じに見えないよう、このタイトルにしてみました。でも劇中で1がずっと言えなかった言葉をタイトルにしてストレートに言ってしまうのは、韓国人らしい発想かもしれないですね。

neruna2この戯曲のように、主人公のキャラクターや背景に具体的な設定が何もないことは、作り手が自由に解釈できることを意味します。日本国内でも本作は、初演以降、これまで詩森ろば(劇団「風琴工房」)、岩井秀人(劇団「ハイバイ」)、多田淳之介(劇団「東京デスロック」)などの演出家によって上演されてきたそうです。演出はそれぞれに異なり、眠ることを「死」と象徴した演出もいれば、一度の公演で同じストーリーを3回繰り返す演出もあったそうです。そのほか、女性二人が主人公のバージョンや、1を女性、2を男性が演じたり、その逆のバージョンもありました。また、韓国で去年の夏、とあるカフェで朗読公演したユン・へジン(윤혜진、若手女性演出家、代表作は『ほこりの島(먼지섬)』『美青年になる(미성년으로 간다)』など)演出版では、主人公二人を男性が演じて、初の男性版が誕生しました。そして今回のキム・ヒョンフェ演出版は、1役を女、2役を男の配役で上演されます。キム演出家ならではの特徴は、完全に“韓国の若者の物語”として描いているところです。

1:動物って、、、なんで生きてんだろう、生きてる意味なくない、、楽しいのかな、
2:、、、どうだろうね
1:別に、きれいなもの見てもきれいって思わないし、おいしいとかも思わないんでしょ
2:、、でも悲しいとも思わないかもよ

neruna4いま韓国では、日本の「さとり世代」のように「3放世代〈3포세대)」という言葉があります。若年層の失業率が深刻な社会問題になり、20~30代の若者たちが「恋愛」「結婚」「出産」を諦めている現象を示す俗語です。自分を諦めることが当たり前のようになった時代だからでしょうか? 最近は、諦めなければならない項目がどんどん増えて、「5放世代」「7放世代」…次々と新しい流行語が更新されています。
この作品を見た観客のなかには、主人公1と2の状況をそのまま素直に受け取る人もいるでしょうが、キム・ヒョンフェ演出家は、劇中の「寝る/休む」という行為を「放棄する/諦める」という意味に捉えたのではないかと思います。「休みたい(=諦めたい)」2に向かって散々話しかけてもどうしようもなく、最後にはただ手を握って一緒に寝ることしかできない1の姿は、涙が出るほど切なく映るのです。
例えば、原作者・岩井秀人のひきこもり体験を基にした『ヒッキーソトニデテミターノ』や、14歳の少年のいわゆる“中2病”を描いた柴幸男原作『少年B』など、去年韓国版が上演され、若い観客たちに共感を得た日本の戯曲を見てみると、彼らは辛い日常をおくるなかで、自分を慰めてくれるような言葉を求めているかのようにも思えます。
キム・ヒョンフェ演出版の『おやすまさない』も、再び韓国の若者たちに共感を得られればいいなと、期待しています。


【公演情報】
演劇『おやすまなさい』(韓国題『寝ないで(자자마)』)
2016年7月13日(水)~7月24日(日) 背の低い松の木劇場(키작은 소나무 극장)

<出演>
1役:キム・ミンジ、イ・へイン
2役:キム・ヒョンフェ

原作:前田司郎(『おやすまなさい』)/翻訳:イ・ホンイ/演出:キム・ヒョンフェ/美術:チャン・ハ二/照明:イ・ギョンウン/音楽:キム・ソンテク/広告美術・写真:普通の現象(キム・ソル)/企画:キム・シネ/助演出:キム・へイン

写真提供:劇団「偉大なる冒険」 ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.13

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.13

 

こんにちは、私は「演劇実験室 恵化洞1番地」です。

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演劇実験室恵化洞一番地 6期同人 春フェスティバル「シムシティ~都市ライフの費用」ポスター

韓国の演劇村と呼ばれている大学路(テハンノ)には100館を超える劇場が集まっています。ほとんどが客席数100席前後の小劇場ですが、その中でも客席数が50席しかない小さな劇場があります。「演劇実験室恵化洞(ヘファドン)1番地 연극실험실 혜화동1번지」という劇場です。本当の住所は恵化洞88番地だそうですが、大学路を代表する劇場の一つとして存在しています。その理由は、韓国で唯一、演出家の同人システムで運営されている劇場だからです。昔、小説家や詩人などが同人誌を通じて創作活動をすることは多かったですが、演劇の演出家たちが同人制度で劇場を運営するのは、世界的にも珍しいことではないかと思います。

1994年から始まったこのシステムは、商業的な演劇から離れ、個性の強い実験劇を追及することを目標とし、この劇場を中心に若手演出家が自由に新しい演劇を制作してきました。現在6期メンバーが活動中ですが、1期ごとに約6~7人のメンバーが集まり、3~5年間同人として活動したら、その後は後輩の演出家を推薦して同人を卒業する形で運営されてきました。

これまで、「演劇実験室恵化洞1番地」には、いまでは自身の劇団内外の作品を多数手がけ、活躍している演劇界で広く名を知られた演出家たちが同人として活動していました。以下に演出家名と近年の代表作を挙げてみます。
●イ・ユンテク(이윤택 劇団「演戯団コリぺ」代表)『問題的人間、燕山』『宮裏』
●パク・グニョン(박근형 劇団「コルモッキル」代表)『青春礼賛』『キョンスクとキョンスクの父』
●キム・グァンボ(김광보 ソウル市劇団芸術監督)『少しはみ出て殴られた』『M.Butterfly』
●キム・ジェヨプ(김재엽 劇団「ドリームプレイ」代表)『アリバイ年代記』『背水の孤島』
●ユン・ハンソル(윤한솔 劇団「グリーンピグ」代表)『インターネット・イズ・シリアス・ビジネス』
●キム・ハンネ(김한내 劇団「パーダバプ」代表)『テンペスト』『来来来来来』(コラムVol.9参照)

去年から開始した第6期には、チョン・ユンファン(전윤환 劇団「アンド・シアター」代表)、ソン・ギョンファ(송경화 劇団「浪漫流浪団」代表)、シン・ジェフン(신재훈 劇団「小さな部屋」代表)、ペク・ソキョン(백석현 劇団「チャンセ」代表)、キム・スジョン(김수정 劇団「新世界」代表)、ク・ジャヘ(구자혜 劇団「ここは当然、劇場」代表)が活躍をしています。彼らはこれまで「2015春フェスティバル:総体的難劇」「2015企画招請公演:セウォル号」「2015秋フェスティバル:商業劇」と題したシリーズ演劇を上演し、今年の春は、4月7日から6月26日まで「2016春フェスティバル:シムシティ~都市ライフの費用」を上演しました。今回は、そのなかの最後の一作だった女性演出家ク・ジャへによる『演劇実験室恵化洞1番地』をご紹介したいと思います。

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南山(ナムサン)芸術センターで上演された『Commercial, definitely~マカダミア、検閲、謝罪、そしてマンスプレイニング』舞台写真より

まず、劇場の名前そのものを演劇のタイトルにしていること自体が、好奇心を刺激します。彼女は去年の秋フェスティバルで発表した『Commercial, definitely~マカダミア、盗作、マーズ、そしてマンスプレイニング』を、今年4月に南山(ナムサン)芸術センターで『Commercial, definitely~マカダミア、検閲、謝罪、そしてマンスプレイニング』というタイトルで再演していました。上演当時に最も話題になっていたキーワード……例えば、大韓航空の「ナッツリターン」事件、有名演出家の戯曲が検閲された問題、韓国の有名小説家による盗作、男性が女性に対してまるで「教えてあげるような」しゃべり方で対話をする現象から生まれた新造語「マンスプレイニング(Man+Explain=Mansplaining)」などを取り上げ、俳優たちにはその問題の主人公を演じさせて、堂々と客席に向かって弁解をする機会を与えた作品でした。それと同時に、この作品を初演した、50席しかなく資金が乏しい民間劇場である恵化洞1番地と、規模を膨らませて再演した、公共劇場で450席もある南山芸術センターで公演を準備しながら感じたことや、上演環境の違い、助成金の金額と予算まで暴露した作品でもありました。

作・主演のイ・リ

開演前には女優自らチケットを販売

今回上演された『演劇実験室恵化洞1番地』は、ある意味、この前作の延長線上にある作品とも言えます。本作には、『Commercial, definitely…』にも出演していたイ・リという女優が登場します。開演前には自らチケットの受付、販売をし、劇中では照明や映像のオペレーションまで全部一人でこなしながら一人芝居をしなければならない彼女はボヤキ始めます。「いったいなんで私なんだろう?」と、どうしてこの空間で一人で90分もしゃべらなければならないのか、彼女は理解できず観客に向けて疑問を投げかけるのです。また、彼女は“ソウルで一人暮らしをしている40歳の女優”という設定なのですが、劇場を運営するための費用や家賃事情、ネコを飼うために必要な品物と費用、俳優業とは別にやっている副業の話、セックスの効能や自慰行為についてなど、短いエピソードをオムニバスドラマのように構成し、本音満載で赤裸々に語っていきます。

 

このように演出家ク・ジャへは、いまソウルで一人で生きている女性の実情と、狭い舞台の上で一人で演技をしている女優の姿をオーバーラップさせ、実験劇に仕上げたのです。起承転結のドラマはありませんが、約30年の歴史を持っている劇場と、約40年の人生を生きている女優の率直なエピソードが生々しく描かれ、イ・リのセリフに共感した観客たちの笑い声が絶えませんでした。公演スタイルもかなり斬新でしたが、最後には実際に飼っているネコを登場させて芝居を終わるなど、若手演出家らしい挑戦がさまざまな点で見られた作品でした。

そういえば、彼女が主宰している劇団の名前は、「ここは当然、劇場(여기는당연히, 극장)」。大胆な風刺とユーモアで韓国の若者の日常そのものを舞台上で表現しながら、“当たり前のように居続けている”劇場で彼女がこれからどんな舞台を見せてくれるのか、楽しみです。なお、11月には同じ劇場で別役実原作の舞台を上演することが決定しているそうですよ!


hefadon5【公演情報】
2016春フェスティバル:シムシティ~都市ライフの費用
演劇『演劇実験室恵化洞1番地 』(연극실험실 혜화동1번지)
2016年6月16日(木)~6月26日(日) 演劇実験室恵化洞1番地

出演:イ・リ

作:ク・ジャへ、イ・リ/演出:ク・ジャへ/美術:キム・ウンジン/音楽:目笑(モクソ)/衣装:キム・ウソン/ヘアメイク:チャン・ギョンスク/写真:キム・ドウン

写真提供:劇団「ここは当然、劇場」 ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.12

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.12

 

演劇とドキュメンタリーの間で ― 『光の帝国』

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夫キヨン役のチ・ヒョンジュン(左)と妻マリ役のムン・ソリ

今年は韓国とフランスの修交130周年を迎えた年で、舞台芸術分野でもさまざまな企画が行われています。このような雰囲気のなか、今月は韓国の国立劇団とフランスのオルレアン国立演劇センターのコラボレーションにより制作された演劇『光の帝国(빛의제국)』をご紹介したいと思います。この作品は同名小説を原作にしていますが、この小説を執筆したキム・ヨンハ(김영하)は、1995年にデビューして以来、韓国で数々の文学賞を受賞しながら、アメリカ・フランス・ドイツ・日本・イタリアなど10カ国に著作が紹介されている小説家です。彼の代表作のなかで北朝鮮のスパイを主人公にした本作が、今回の上演作品として選ばれ、フランスの制作陣と韓国の実力派舞台俳優を集結して制作されたのです。フランスのスタッフは、小説家で演出家でもあるヴァレリー・ムレジャン(Valérie Mréjen)が脚色を、多くの海外共作に参加している演出家でオルレアン国立演劇センターの芸術監督のアルチュール・ノジシエル(Arthur Nauzyciel)が演出を務めています。ノジシエルは、本作を準備しながら去年、ジャン・ジュネの映画をベースにした『スプレンディーズ(Sprendid’s)』を同じ明洞芸術劇場で上演し、韓国の観客には馴染みのある演出家です。それから、演劇は6年ぶりの出演となった韓国を代表する映画俳優ムン・ソリ(문소리)と、同劇場で上演した『試練‐The Crucible(시련)』『旅立つ家族(길떠나는 가족)』などで主演を務めた俳優チ・ヒョンジュン(지현준)が出演することで開幕前から期待を集めていました。

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セットも衣装もすべてがグレートーンで統一

2016hikari1舞台セットは、二つの巨大なスクリーンが壁のように立てられていて、テーブルと椅子、ソファが置いてあるシンプルな構造です。舞台上にあるものは、俳優の衣裳を含めて全てがグレーのトーンに統一されていました。それは照明によって暖かいグレーにも見えたり、蛍光灯が使われるときには冷たいグレーに見えたりして、シーンによって異なる質感を見せました。それとは対照的に、バックにあるスクリーンにはとても美しくて多彩な色の映像が流れました。最近、韓国の演劇でも映像を取り入れるケースが多いですが、ここまで積極的に舞台の芝居とシンクロさせたのは珍しいと思います。加えて、ところどころ、俳優が肉声ではなく、舞台上に設置されているマイクを使って話すシーンもありました。例えば開演の際には、舞台上に既に上がっていた俳優のなかの一人が「公演中には携帯電話の電源を切ってください」などの案内コメントをしたのです。劇中では、俳優本人の北朝鮮に関する記憶がマイクを通して語られたりもしました。そのシーンは芝居と言うよりも、まるでプレゼンテーションでもするような印象がありました。

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室内や街中であらかじめ撮影された映像が舞台の演技とシンクロしていく

2016hikari6このような一風変わった演出方法を用いながら、本作は原作小説の世界を魅力的に描いていました。物語は、夫婦であるキヨンとマリのある一日を扱っています。映画輸入業者のキヨンはその日、妙なメールを受信します。そのメールが意味するのは「全てを捨てて、直ちに北朝鮮へ戻れ」というものでした。実は、彼は北朝鮮から来たスパイで、10年以上、何の指令ももらえないまま韓国で一般人のように過ごしてきたのです。彼は複雑な気持ちになり、同じく北朝鮮から潜入している仲間に会ったりタロット占いに行ったりします。一方、彼の妻であるマリはその日、不倫相手の大学生と会います。そして彼から自分の友だちと一緒に寝てほしいと言われ、三人でラブホテルに向かいます。しかし、もう一人、彼の友人(先輩)も外で待っていることを知り、彼女はその場を離れます。二人とも悲惨な一日を過ごしたその日の夜、キヨンは妻に真実を告白します。突然日常が壊れてしまったマリは戸惑い、彼に向かって「北朝鮮へ帰れ」と冷たく叫びます。でも、結局マリを離れないキヨンの姿を最後に、この物語は終わります。
2016hikari4舞台と映像を、そして肉声とマイクの声を横断させながら、この演劇はフィクションとドキュメンタリーの境界を曖昧にしていった作品だったと思います。それが可能だったのは、全てのエピソードがコラージュのように構成されていたからでしょう。「最も近いと信じていた人の秘密を知ったら?」という普遍的な話をベースにしながら、こんな嘘のようなことが本当に起こっても不思議ではない韓国を外からの視線で見ることができた、面白い体験でした。ストーリーに感情移入させるより、提示するイメージを通して観客に考えさせる意図が強かったと言えるでしょう。それに、小説だけではなく、ルネ・マグリットの同名絵画『光の帝国』―青く光っている空の下、街は夜のなかに沈んでいる絵―も連想させ、韓国の舞台ではあまり見られない視覚的な刺激があったのも楽しかったです。3年という長い準備期間を経て誕生した作品だからこそ味わえるチームワークも印象深に残ります。フランス人の演出家と韓国俳優が一つの目標に向かっているように感じられたからです。本作は3月27日までのソウル公演終了後、5月17日から21日までフランスのオルレアン国立演劇センターで上演される予定です。フランス人にとってはこの作品世界がどのように映るのか、とても気になります。


2016hikariposter【公演情報】
演劇『光の帝国』(빛의 제국)
2016年3月20日~3月27日 明洞芸術劇場

出演:ムン・ソリ、チ・ヒョンジュン、チョン・スンギル、ヤン・ドンタク、キム・ハン、ヤン・ヨンミ、キム・ジョンフン、イ・ホンジェ
原作:キム・ヨンハ/演出・脚色:アルチュール・ノジシエル/脚色:ヴァレリー・ムレジャン

●国立劇団(明洞芸術劇場)公式サイト 作品紹介ページ

写真提供:韓国国立劇団 ©NATIONAL THEATER COMPANY OF KOREA
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<『光の帝国』ハイライト映像>


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.11

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.11

 

韓国創作オペラの意味深長なる一歩
『月が水面に忍び来るがごとく』

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トラック運転手のスナムは、スナックのホステス、キョンジャと恋に落ちて結婚する ©ソウル市オペラ団

韓国ミュージカル界では、創作=オリジナル作品の制作・上演がさかんに行われていますが、最近はオペラ界でもその動きがみられるようになってきました。今回は、演劇がオペラに生まれ変わり、注目を浴びた『月が水面に忍び来るがごとく(달이 물로 걸어오듯)』という作品を紹介したいと思います。

この作品は、2008年にコ・ヨノク作、イム・ヨンウン演出で初演された小劇場演劇でした。コ・ヨノクは演出家キム・グァンポと組んで作品を多数発表している女性脚本家で、昨年は『私の名前は川(내 이름은 강)』『私は兄弟だ(나는 형제다)』などを上演しています。このオペラの台本もコ・ヨノクが担当、ここに作曲家チェ・ウジョンが音楽を完成させて上演したのが2014年11月で、当時、興行の面でも作品性の面でも韓国創作オペラとしては珍しく大きな評価を得ました。その結果、E daily文化大賞クラシック部門最優秀作として選ばれ、より完成度を高めて2月19日から21日まで再演されました。

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キョンジャの罪をかぶり収監されたスナムに面会に来たキョンジャ ©ソウル市オペラ団

主人公は、50代のトラック運転手スナムです。彼は、20歳も年の離れたスナックのホステス、キョンジャと恋に落ちて結婚します。やがてキョンジャは妊娠し、幸せな生活が続くと夢見ていた矢先、仕事を終え家に戻ったスナムを待っていたのはキョンジャと二つの死体。その死体はキョンジャが幼い時から憎んでいた継母と妹でした。スナムは妻と子を守るために、身代わりとなって自首します。ですが、周囲の人々はスナムがキョンジャに利用されたと疑い、スナム自身もキョンジャが本当に自分を愛しているのか、わからなくなってしまいます。結局、彼は法廷で真実を暴露し、キョンジャは死刑囚に。約3カ月後、彼女の本心を知りたいスナムは生まれた赤ちゃんを抱いて、面会に行くのですが、結局何も答えてくれないキョンジャ。しかし急に泣き出した赤ちゃんの声で、彼女はお乳が溢れて止まらなくなってしまうのです。

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スナムの嘘がバレて、キョンジャは死刑囚となる ©ソウル市オペラ団

王子様が救い出したシンデレラとは違って、誰からも救われない現実のなかのキョンジャ、そして彼女の気持ちが知りたくて苦しむスナムの物語は、オペラに脚色したことで演劇版よりも素晴らしくなったと評価されると同時に、斬新なオペラとして韓国オペラ界に衝撃と刺激を与えました。主に歴史的な英雄を扱った従来の創作オペラと違い、本作は現代を舞台に、主人公はトラック運転手とホステスという普通の人の姿を描いているからです。バリトンが演じるスナムが「私はトラックの運転手です。荷台に何を積んでいるのかもわからないまま目的地に向かって走るんです」と歌うアリア、そして最後にキョンジャが何もかも諦めて「全てが去り、一人残った」と歌うアリアも、胸に深く残る、悲しくて美しい歌になっていました。この作品のタイトルも、劇中でスナックのマダムの声を通して、「男と女は“月が水面に忍び来るがごとく出会うもの”だ」と静かに響きます。こうして、韓国語の会話をそのままメロディーに乗せたような音楽によってセリフと歌の境界がスムースに流れていく点は、今回の再演時に、より発展させたと評価されていました。

このように、異例的に創作オペラの秀作が誕生した背景には、この作品を制作したソウル市オペラ団の尽力がありました。ハングルを作った朝鮮時代の王様「世宗(セジョン)」とオペラというジャンルを誕生した中世イタリアのサークル「カメラ─タ」を合わせて名付けられた「セジョン・カメラ─タ」というワークショップ・グループを作り、最高の劇作家と作曲家たちを招き、作品を開発するようにサポートした最初の成果が、この作品なのです。

2014年公演より「スナムのアリア」(世宗文化会館公式YouTubeより)

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初演、再演と演出を務めた青年団の齊藤理恵子 ©ソウル市オペラ団

実はこの作品の演劇版は2010年、日本語に翻訳され劇団青年座によって日本で上演されたことがあります。その時に演出を努めた齊藤理恵子がオペラ版の初演と再演に演出家として参加しています。彼女は青年座の演出部に所属する演劇演出家ですが、ミュージカルとオペラの演出助手をした経験を持ち、テキスト分析だけではなく、細かく楽譜を読みながら音楽に対する独自の解釈を入れ、作曲家と指揮者と一緒に討論しながら稽古を進めてきました。それぞれ異なる分野の劇作家、演劇演出家、作曲家、指揮者が素敵なアンサンブルを成して、まるで元々一つのチームだったかのように良いチームワークを見せたこと、これこそが大成功の要因ではないかと思います。ちなみに、演出家の齊藤理恵子はコ・ヨノク作家の代表作『人類最初のキス』の日本版を準備しています。今年の10月に青年座の演劇として上演される予定で、この作品はこれからどのように発展されるか楽しみです。

今回の再演では、初演メンバーのなかでマダム役のみ変更になり、主役のスナム、キョンジャともにトリプルキャストでしたが、今回はパートナーを変えて舞台に立ちました。なかでもスナム役とのハン・ギュウォンは日本でも活躍しているバリトン歌手。キョンジャ役の一人、チャン・ユリは忠武アートホールで上演した、ヤン・ジュンモ演出による小劇場オペラ『リタ』に主演していたソプラノ歌手です。検事、刑事、弁護士、スナックのホステスたちと酔客、いちご売りなど、出演者ひとりひとりが素敵な演技を見せましたが、その中でもスナムとキョンジャの歌手は普段演じたことがない難役に挑戦し、多くの苦労をしたはずです。しかし、この作品を通じて普段オペラを見たことない観客からも愛される魅力の俳優になれたことでしょう。


operatsukiposter【公演情報】
世宗カメラータ オペラシリーズⅡ『月が水面に忍び来るがごとく』(달이 물로 걸어오듯)
2016年2月19日~21日 世宗文化会館Mシアター

<出演>
●キョンジャ役(ソプラノ):チョン・ヘウク、チャン・ユリ、ハン・ギョンソン
●スナム役(バリトン):ヨム・ギョンムク、キム・ジェソプ、ハン・ギュウォン
●検事役(テナー):オム・ソンファ
●マダム役(メゾソプラノ):チェ・ヘヨン
●ミナ役(ソプラノ):ユン・ソンフィ
●国選弁護士(テナー):チェ・ボハン
●刑事ほか(バリトン):イ・ヒョク
●いちご売りほか(ベースバリトン):イ・ドゥヨン

芸術総監督:イ・ゴンヨン/作曲:チェ・ウジョン/脚本:コ・ヨノク/演出:齊藤理恵子/指揮:ユン・ホグン

●世宗文化会館公式サイト 作品紹介ページ

写真提供:ソウル市オペラ団 ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.10

イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.10

 

演劇『はなこ』が語る慰安婦問題

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『はなこ』のストーリーはテレビ局のプロデューサーと女性学教授が、従軍慰安婦のドキュメンタリー番組制作を通じて出会う人々や出来事で構成

去年12月28日、日韓政府による従軍慰安婦問題の合意が行われ、韓国内でそれに対する批判の声は今も続いていますが、偶然にもこの時期、慰安婦問題を扱う演劇が大学路で上演されていました。『はなこ(하나코)』という作品です。

去年12月24日から今年1月10日までアルコ芸術劇場小劇場で上演されたこの作品は、脚本キム・ミンジョン、演出ハン・テスクと、韓国演劇界ではその名前だけで信頼できる二人の女性演劇人が作った新作でした。キム・ミンジョン脚本家は、一昨年、パク・ユチョン主演で映画化された『海にかかる霧(해무)』の原作者として有名な方です。ハン・テスク演出家も2013年に国立劇場で上演された『ダンテの神曲』や、明洞芸術劇場で2014、15年と上演された『ガラスの動物園』など数多くの話題作を手がけて活発に活動を続けている中堅演出家です。従来の彼女の代表作の中には、2007年に初演された『荷(짐)』(チョン・ボックン作、南山芸術センター)がありますが、この作品は2012年に演出家の坂手洋二により日本でも上演されたことがります。当時、劇団「東京演劇アンサンブル」の俳優と韓国の俳優チョン・スンギル、この『はなこ』にも出演しているウ・ミファが共演し、過去と現在を往来しながら従軍慰安婦と強制労働被害者の話を扱って注目を浴びました。特に、この作品は慰安婦の問題自体を告発する内容ではなく、慰安婦だった女性たちが韓国に戻ってからむしろ差別された事実と残酷な現実を目にしなければならなかった日本人の苦悩を含めて、現在を生きる我々がこのような過去にどう向き合えば良いかを考えさせた点で有意義な作品だったと思います。

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ハンブニが回想するシーンでは、慰安婦だった若いころの自分自身(コップ二)と妹グマの辛い過去を若い俳優たちが再現

今回の『はなこ』も、現代の韓国を舞台にして元慰安婦の女性を取り上げている演劇です。
物語は、女性学教授のソ・インギョンとテレビ局のプロデューサーのホン・チャンヒョンが、カンボジアに住んでいる“レン”という女性が従軍慰安婦だったという情報を入手し、彼女の証言を聞くために旅に出るところから始まります。彼らとともに、同じくカンボジアで共に慰安婦だった妹グマを探している老婦人“ハンブニ”が同行します。レンが妹ではないかと考えているハンブニは、やっと再会するのですが、レンは韓国語を忘れてしまい、二人はコミュニケーションがとれません。加えてレンの顔は韓国人だとは思えないほど、カンボジア人のような容貌なのです。ホンPDは、レンと彼女の孫であるメイリンが韓国政府の支援金を狙って嘘をついているのではないか疑い始めるのですが、同じころ、事前に依頼しておいた二人の遺伝子検査の結果が、電話でソ教授に伝えられます。残念ながら、二人は本当の姉妹ではないことが判明。それを聞いたハンブニは当時の幻影からようやく本当の記憶を取り戻し、実は妹が高橋という日本の軍人に殺害されたことを思い出します。その後、彼女は次の行き先である日本へ向かい、そこで従軍慰安婦の話を聞くために集まった日本人の前で、淡々と当時のことを証言し始め、軍人に刺されたために背中に刻まれた傷跡を見せて、この演劇は幕を閉じます。

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ハンブニ(イェ・スジョン 写真右)の人生をたどりながら、観客は自分自身を振り返ることになる

カンボジアで韓国語を忘れたまま生活していた元慰安婦の女性“フン”を始め、この作品は実在するいろんな立場の人たちの声を基にして書かれていたと思います。それによって慰安婦問題そのものより、その問題に対するいまの私たちの視線に、より重きを置いた作品になったのでしょう。二人のおばあさんは本当に血のつながった姉妹だろうか? レンは嘘をついているのか?……観客は次々と疑問を抱きながら、いつの間にか、それぞれ異なる国、立場や世代の人々の姿を見ることになります。そのうち、これが“従軍慰安婦”と呼ばれた特定の人々の話ではなく、“ハンブニ”というひとりの人間の物語であることに気づくようになるのです。このように個々の話を丁寧に記録することは、政治や外交ではできないことですね。長い間傷つけられ続けているおばあさんたちに、少しでも迷惑をかけないように、慎重に作品を作っていた俳優とスタッフの姿が、とても深く印象に残っています。

⇒『はなこ』脚本家 キム・ミンジョンさん インタビュー記事へ

hanakoposter【公演情報】
演劇『はなこ』(하나코)
2015年12月24日~2016年1月10日 アルコ芸術劇場小劇場

<出演>
●元慰安婦ハンブニ(はなこ):イェ・スジョン
●元慰安婦レン:チョン・グギャン
●ソ・インギョン教授:ウ・ミファ
●ホン・チャンヒョンPD:シン・アンジン
●佐々木:シン・ヒョンジョン
●パク・ジェサム:キム・グィソン
●お父さん:パク・ジョンテ
●キム・アルム:イ・ジヘ
●高橋:クォン・ギョムミン
●幼いグマ:ミン・ギョンウン
●メイリン:カン・ダユン
●コップニ(幼いハンブニ):パク・スジン
●小津山:リュ・ヨンス

脚本:キム・ミンジョン/演出:ハン・テスク/舞台:イ・テソプ/照明:キム・チャンギ/衣装:キム・ウソン/ヘアメイク:ペク・ジヨン/音響:ジ・ミセル/映像:カン・ナレ/協力舞台デザイン:パク・ウネ/助演出:カン・ソヒ、グン・ジョンチョン

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