イ・ホンイの「ソウルde演劇めぐり」Vol.14

 

今を生きる韓国の若者を慰める言葉「おやすまなさい」

neruna3今年1月、大学路では「素敵な新人が現れた!」という噂が広がりました。その主人公は、若手劇団「偉大なる冒険(위대한 모험)」を主催する俳優・演出家キム・ヒョンフェ(김현회)です。元々「サンスユ(산수유)」(女性演出家リュ・ジュヨン主宰)という劇団の俳優だった彼は、2014年12月、日本で劇団「五反田団」を主催する前田司郎作『偉大なる生活の冒険』をワークショップ公演として上演したあと、劇団「偉大なる冒険」を旗揚げしました。

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1役のキム・ミンジ(左)と、2役で劇団を主宰するキム・ヒョンフェ

彼がこの作品と出会ったのは、2014年に「韓日演劇交流協議会」が主催した「現代日本戯曲朗読公演」の時でした。この協議会は、日本の「日韓演劇交流センター」とともに、隔年で互いの国の現代戯曲を紹介する事業を行っています。毎回5作品を選定して翻訳・出版すると同時に、そのうち3作品は朗読公演として上演しています。当時、佃典彦作/リュ・ジュヨン演出の朗読公演『ぬけがら』に俳優として参加したキム・ヒョンフェは『ぬけがら』と一緒に紹介された前田司郎の戯曲『偉大なる生活の冒険』を読んで一目ぼれ。その時から自らの演出による上演を準備したそうです。そしてその公演は好評を得て、東京でも上演されることになったのです。2015年4月、前田司郎の劇団「五反田団」の拠点とも言えるアトリエ・ヘリコプターにて無事に上演。その後、初演から約2年間の旅程を経て今年1月、再び大学路で上演し、ベテラン演出家並みの巧みな舞台を披露して、「まるで役者ではなく本物の普通の人の生活を見ているようだ」と評判になりました。元カノの家に居候して、ゲームばかりしている男が主人公のこの作品は、将来のことは全く考えていないダメ男が、ついに彼女にプロポーズをするまでの日常を描いています。一見何の希望も情熱もないように見えますが、ただ生きていることが“偉大なる冒険”になってしまう主人公の日常は、今の韓国の若者の自画像を見ているようだと評価され、何よりも、若い観客から大きく支持されました。

その後、彼が劇団の第2弾作品として選んだ戯曲が『おやすまなさい』です。同じ作家、しかも日本人作家の作品を続けて上演することに対し、周りから心配もされたそうですが、彼が今回も前田司郎の戯曲を選んだ理由は、今の自分をありのまま表現してくれる、と言っても単純に劇中人物のキャラクターに似ているということではなく、素直な日常の姿や頭の中の小さな悩みに共感できる作品だと感じるからだそうです。

この戯曲は2003年に前田司郎の作・演出で初演された二人芝居です。登場人物は1と2。二人の性別も年齢も、人物に関する情報は一切書いてありません。ただ、寝ようとしている2と、そんな2が眠れないように邪魔をする1がいるだけです。1は2に、延々と話しかけます。

1:寝るのもったいない、、なんか、なんも出来ないじゃん、寝ちゃうと
2:寝てるじゃん
1:え
(中略)
1:じゃあずっと寝てろって言われたら寝てる
2:寝てる
1:、、、1年とかだよ
2:うん
1:100年とかだよ
2:え、うん
1:じゃあ、100年寝なよ

こんな感じで1時間以上、二人の対話が続くなか、途中でいきなりヒトデや貝などが現れたりして、妙なオフビート感を感じさせます。1は2に、はっきりと「寝ないで」とは言いませんが、その代わり最後にやっと「おやすまなさい」という言葉を投げるのです。この作品のタイトルでもある「おやすまなさい」は、原作者の前田司郎が「寝て欲しくないときのあいさつ」という意味で作った新造語だそうです。韓国版では、この最後の台詞をどう翻訳するか? いろいろと試してみたのですが、作品のタイトルは1の本音をそのまま現す『寝ないで(자지마)』にしてあります。タイトルとしてのインパクトなども考慮しながら、無理やり訳した感じに見えないよう、このタイトルにしてみました。でも劇中で1がずっと言えなかった言葉をタイトルにしてストレートに言ってしまうのは、韓国人らしい発想かもしれないですね。

neruna2この戯曲のように、主人公のキャラクターや背景に具体的な設定が何もないことは、作り手が自由に解釈できることを意味します。日本国内でも本作は、初演以降、これまで詩森ろば(劇団「風琴工房」)、岩井秀人(劇団「ハイバイ」)、多田淳之介(劇団「東京デスロック」)などの演出家によって上演されてきたそうです。演出はそれぞれに異なり、眠ることを「死」と象徴した演出もいれば、一度の公演で同じストーリーを3回繰り返す演出もあったそうです。そのほか、女性二人が主人公のバージョンや、1を女性、2を男性が演じたり、その逆のバージョンもありました。また、韓国で去年の夏、とあるカフェで朗読公演したユン・へジン(윤혜진、若手女性演出家、代表作は『ほこりの島(먼지섬)』『美青年になる(미성년으로 간다)』など)演出版では、主人公二人を男性が演じて、初の男性版が誕生しました。そして今回のキム・ヒョンフェ演出版は、1役を女、2役を男の配役で上演されます。キム演出家ならではの特徴は、完全に“韓国の若者の物語”として描いているところです。

1:動物って、、、なんで生きてんだろう、生きてる意味なくない、、楽しいのかな、
2:、、、どうだろうね
1:別に、きれいなもの見てもきれいって思わないし、おいしいとかも思わないんでしょ
2:、、でも悲しいとも思わないかもよ

neruna4いま韓国では、日本の「さとり世代」のように「3放世代〈3포세대)」という言葉があります。若年層の失業率が深刻な社会問題になり、20~30代の若者たちが「恋愛」「結婚」「出産」を諦めている現象を示す俗語です。自分を諦めることが当たり前のようになった時代だからでしょうか? 最近は、諦めなければならない項目がどんどん増えて、「5放世代」「7放世代」…次々と新しい流行語が更新されています。
この作品を見た観客のなかには、主人公1と2の状況をそのまま素直に受け取る人もいるでしょうが、キム・ヒョンフェ演出家は、劇中の「寝る/休む」という行為を「放棄する/諦める」という意味に捉えたのではないかと思います。「休みたい(=諦めたい)」2に向かって散々話しかけてもどうしようもなく、最後にはただ手を握って一緒に寝ることしかできない1の姿は、涙が出るほど切なく映るのです。
例えば、原作者・岩井秀人のひきこもり体験を基にした『ヒッキーソトニデテミターノ』や、14歳の少年のいわゆる“中2病”を描いた柴幸男原作『少年B』など、去年韓国版が上演され、若い観客たちに共感を得た日本の戯曲を見てみると、彼らは辛い日常をおくるなかで、自分を慰めてくれるような言葉を求めているかのようにも思えます。
キム・ヒョンフェ演出版の『おやすまさない』も、再び韓国の若者たちに共感を得られればいいなと、期待しています。


【公演情報】
演劇『おやすまなさい』(韓国題『寝ないで(자자마)』)
2016年7月13日(水)~7月24日(日) 背の低い松の木劇場(키작은 소나무 극장)

<出演>
1役:キム・ミンジ、イ・へイン
2役:キム・ヒョンフェ

原作:前田司郎(『おやすまなさい』)/翻訳:イ・ホンイ/演出:キム・ヒョンフェ/美術:チャン・ハ二/照明:イ・ギョンウン/音楽:キム・ソンテク/広告美術・写真:普通の現象(キム・ソル)/企画:キム・シネ/助演出:キム・へイン

写真提供:劇団「偉大なる冒険」 ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。


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