[Special Interview]イ・デヨン【後編】

イ・デヨンさんをはじめ、彼と同世代の演劇出身俳優たちの多くは、80年代末から90年代以降の韓国舞台シーンを席巻した名優たちです。確かな演技力と存在感で、映像界でも確固たる地位を築いている理由が、デヨンさんのお話しからも伝わってくると思います。

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演劇『私に会いに来て』20周年記念公演ではキム班長を演じた(2016年)プレスコールより

●初舞台以降、本当にいろんな作品に出演されましたがデヨンさんの出演作を調べると、ドラマと映画だけでも100本くらいはありました。
「データが出てないものもありますからね。映画が40~50本くらい? ドラマが70作くらいかな。演劇も同じくらいあると思います。でも数が多いだけですね(笑)」

●膨大な数の中で今も記憶に残っているのはどんな作品ですか?
「そうですね……演劇だと『私に会いに来て(날 보러와요)』※7、それと『アート(아트)』※8 という作品も忘れられないですね」

●個人的にデヨンさんの芝居を大学路で初めて見たのが『アート』でした。めちゃくちゃ面白かったです!
「そうでしたか。『アート』は本当に面白かったでしょう? クォン・ヘヒョ、チョ・ヒボンとの息もピッタリで。面白かったことも印象深いけど、もう一つは普段の僕イ・デヨンと、劇中の役ドクスとのキャラクターがあまりにも似ていたので、俳優として人物を作り出すのに大して悩みもせずとも答えが出たような作品でした。 賞までもらえたのでさらに記憶に残る作品です」(05年『アート』で第41回東亜演劇賞男性演技賞を受賞)

※注7 『私に会いに来て』 韓国の代表的な未解決事件として知られる「華城(ファソン)連続殺人事件」を題材に、劇団「演友(ヨヌ)舞台(연우무대)」創立メンバーだったキム・グァンリムが1996年に発表した戯曲。連続猟奇殺人を捜査する捜査本部を舞台に、犯人に振り回される刑事たちと、彼らをめぐる人間模様がリアルかつコミカルに描かれる。ポン・ジュノ監督はこの作品をもとに名作映画『殺人の追憶』を創り上げた。
※注8 『アート』 原作戯曲はフランスのヤスミナ・レザが1994年に発表したブラックコメディ。長年の親友関係にある男3人のうちの一人が、キャンバスに白一色の絵画を高額で購入したことで、その絵の価値をめぐって論戦を繰り広げ、3人が長年抱えていた本音が露になっていく。
演劇『私に会いに来て』20周年記念公演プレスコールより (写真左からクォン・ヘヒョ、ユ・ヨンス、キム・レハ、イ・デヨン)

●そして『私に会いに来て』は昨年20周年記念公演もありましたが、この作品でもデヨンさんは捜査チームの班長役でした(笑)
「記念公演も見ましたか。実は初演の時はキム班長役じゃなかったんですよ。他の作品に出演していて最初から稽古に参加できなかったんです。結局、演じる予定だった容疑者役をユ・テホ兄さんがやることになり、私は容疑者の友人として少しだけ登場する役を演じました。でもそれで百想芸術大賞演劇部門の新人賞を受賞したんです。チャ・ボムソク先生※9 が審査委員でしたが、“確かにあの役を上手く演っていたけど、いや、なんで5分しか出てこない役なのに”とおっしゃって(笑)。当時演劇界の新人賞は飛行機のマイレージのような感じで、ある程度いいね、という作品が4、5個貯まるといい俳優だからと新人賞が与えられるという慣行が以前はあったんです」

※注9 チャ・ボムソク(차범석)戦後の韓国演劇を率いた劇作家、演出家の一人。2006年、82歳で没。

●てっきり百想芸術大賞の新人賞は、班長役で受賞されたと思っていました(笑)
「その時は容疑者の友達役でした。周りのみんなにも“どうやったら5分出ただけで新人賞がもらえるんだ”と冷やかされたりもしました(笑)」

演劇『私に会いに来て』20周年記念公演プレスコールより(2016年)

●これまで所属されていた劇団について教えていただけますか?
「私が最初に劇団に所属したのは『シンシ』という、故キム・サンヨル先生が創られた劇団でした。創立公演だった『エニケーン(애니깽)』という作品を見て“わぁ、この劇団に入りたい!”と思ったのですが、新人は採用していないと入団できなかったんです。その後、ある音楽劇をシンシと合同公演をやることになり、キム先生にお会いできたんです。先生は噂に聞いていたとおり演劇を始めたばかりの者からすれば学ぶことがとても多い方でした。その公演が終わるころに、いまはシンシカンパニーの代表で、当時は企画室長だったパク・ミョンソンさんに“君、劇団に入らない?”と声をかけられて“僕は元々入りたかったんですよ!”と、即入団しました。時々俳優は他の人の芝居を見ていると、時々“あ、あの役は自分のものだ”と思うときがあります。『エニケーン』を見ていたときがそうで、主人公はキム・ガプス兄さんらが演じた平民たちでしたが、私はチェ・ジョンウ兄さんが演じていた高宗(朝鮮末期26代王)を自分が上手くできそうだと思っていたんです。ところが、突然ジョンウ兄さんが出演できなくなり私にチャンスが回ってきて、入団したての新入に大役を任せられてとても気分が良かったですね。入りたかった劇団で、演じたかった役もできて……それから4、5年活動したんですが、だんだんと劇団がお金になるライセンスミュージカルを制作するようになって。そこに、外部公演の出演オファーが来たので、キム先生に許可を得て一つ、また一つと出るようになったんです」

●近年は現在所属していらっしゃる劇団「チャイム」※10 のイ・サンウ先生の作品への出演が多いですよね。
「外部公演に出るようになってから劇団『演友(ヨヌ)舞台』に出るようになったのですが、イ・サンウ先生も演友舞台出身なんです。劇団『漢陽(ハニャン)レパートリー(한양레퍼토리)』 のチェ・ヨンヒ先生、劇団『ハクチョン(학전)』のキム・ミンギ先生も演友舞台の団員から分化して自分の劇団を創ったんです。演友舞台での最初の作品は『夕暮れ(해질녘)』という作品で、もともとはソン・ガンホがワークショップから出演していた作品でした。評判がいいので本公演をやることになったのですが、ガンホが出演できなくなり、私にオファーがきて演友舞台との縁ができたんです」

劇団「チャイム」20周年記念公演記者会見より(2015年)(左からイ・ソンミン、ミン・ボッキ代表、劇団創立者、作・演出家イ・サンウ)

●イ・サンウ先生とのご縁はここから始まったんですね?
「公演を見にいらして目に留まったようで“チャイムで一緒にやろう”となったんです。シンシでは演劇を始めたばかりだったのでキム・サンヨル先生から多くを学びましたが、シンシの作品は厳しくて堅苦しくて、先生は元々恐い方だったので、よくいじけていたんです。でも演友は作品自体もそうだけど、俳優や演出家の年齢も自分に近いし、作品もコメディーが多いから、気楽に演ってるのが面白い、上手いと言ってもらえて。それまで演技は当然、かしこまって恰好つけてやるものだとばかり思っていたのが、演友に来てから自分自身も楽しみながら面白く、軽くできる他の演技方法に出合えて楽しかったんです。 それでチャイムにも入ることにしました。その他には、キム・ガプス兄さんが、チョ・ジェヒョン、コ・インベさんらと出資して作った『俳優世界(배우세상)』という劇団にもちょっとだけ参加したことがあります」

※注10 劇団「チャイム」 は、劇作家・演出家のイ・サンウが1995年に創団。創設メンバーにはソン・ガンホ、ユ・オソンらもいた。現在の所属俳優はムン・ソングン、カン・シニル、チェ・ドンムン、パク・ウォンサン、イ・ソンミン、オ・ヨン、パク・ジア、チョン・へジンなど、映画、ドラマで活躍するそうそうたる顔ぶれがそろっている。

●ところで、劇団「チャイム」の俳優たちはなぜ、ドラマにたくさん出るんでしょう?(笑)
「そうなんです。 よくわからないけど、あえて劇団で言うなら、劇団『木花(モッカ)』と『チャイム』出身が多いんですよ。ムン・ソングン、カン・シニル、イ・ソンミン、私、チェ・ドンムン、パク・ウォンサン、チョン・ヘジン、ミン・ソンウクなどたくさんいますね」

●例えばKBSの時代劇とか見ると、必ず何人か一緒に出ています(笑)
「別に何かあるわけではないのですが、テレビや映画の関係者はいつも演劇に注目しているんですよ。そういう関係者がチャイムの舞台をたくさん見に来ました。いまもKBSにいますが、ハム・ヨンフンというプロデューサーがいて、彼がチャイムの俳優を監督たちにたくさん紹介してくれました。『復活』のときもそうです。だから私たちは彼をチャイムの秘密団員だと(笑)冗談で言ったりしていますが、チャイムの俳優たちは、リラックスした演技ができて、瞬発力もあり、若干のユーモアのセンスもある。ドラマに適合した俳優たちが集まっている劇団だからではないでしょうか?」

●それでは映画のほうはどうですか? かなりたくさん出演されていますよね。
「大体50作くらい出たでしょうか。『明日に流れる川(내일로 흐르는 강)』(1996年)という作品が最初の映画でしたが、これも私には人に会う縁、人福があるようです。製作者が演劇部の先輩でしたから。イ・チャンホ(이장호)監督の助監督出身でしたが、生活苦のために映画を辞めて、映像制作をやっていたんです。私もその会社でナレーションなどのアルバイトをしていましたが、ある日その先輩が突然“映画をやるぞ”というので、出演することになりました。それからパク・ジェホ(박재호)監督が意気投合して参加しました。当時韓国映画の平均制作費が20~30億ウォンの頃に、10分の1の予算で製作したんです。その作品は1、2部に分かれていたのですが、2部の主人公を演じて、それがデビュー作になりました。これをきっかけに映画界に繋がりができたんです。観客は多くなかったけど、映画関係者たちは全部見てますから。 それから映画のほうもたくさんやるようになりました」

●そのなかで記憶に残る作品は?
『JSA』(2000年)は記憶に残っていますね。それと 『復讐者に憐れみを(복수는 나의 것)』(2002年)、『オールドボーイ(올드보이)』(2003年)、『親切なクムジャさん(친절한 금자씨)』(2005年)と、パク・チャヌク監督の“復讐三部作”には唯一私がすべてに出演した俳優になりました。『親切なクムジャさん』では、刑務所長役でしたがほとんど編集されてしまい、よーく見ないとわかりませんが(笑)。最近撮ったのは『思悼(사도)』『誠実な国のアリス(성실한 나라의 앨리스)』『チャイナタウン(차이나타)』(すべて2014年)、『セシボン(쎄이봉)』(2015年)は特別出演でしたね」

2014年に出演した演劇『マン・フロム・アース』プレスコールより(左からイ・デヨン、ソン・ジョンハク、イ・ウォンジョン)

●出演作すべてを追いきれないほどの多さです(笑)。これにドラマや舞台も入るわけで。スケジュール調整はいったいどうされてるのでしょう?
「1年に少なくとも演劇を一本はやろう、というのは今まで守ってきています。でも今年はこれで演劇が3本目なので、ちょっと多いですが、それでもスケジュールを調節すれば済むことです。主人公だったら時間をやりくりするのは難しいですよね。いま放送している『名不虚伝(명불허전)』でも、もちろん主演俳優たちは撮影が終わるまで他の仕事は出来ない状態です。でも私が担当する役はそれほど時間を割くような役ではないですから」

●いつも気になっていました。映画やドラマに切れ目なく出演されているのに、必ず舞台にも出演されているので。
「そうです。 演劇が面白いから。 無理に誰かの指示を受けているわけじゃないです」

●演劇は映像の仕事とどんな違いがありますか?
「そうですね、先ほどお話ししたように、演劇は稽古の過程がとても大きいです。演劇は“作る”という感じだとすれば、映画やドラマは“する”という感じなんです。映画では監督と作品や背景の話を一緒に悩む時間はあまりもらえないです。もちろん主演俳優は監督と話しますよ。でも演劇は一緒に作る過程が重要で、またその過程が結果として出てきますから。演劇はそういう楽しさがあります。 ところが映画やドラマは、あるものをポンと投げて出なきゃならない。ある俳優が“映画やドラマは自分を貸し出す感じだ”と、そんな表現をしている人もいました」

●いま撮影中のドラマ『名不虚伝(명불허전)』では初めて医師役を演じているそうですね。
「そうなんですよ。医師、教授役は今までやったことがなかったんです。私があまり知的に見えないのか(笑)、医師や弁護士などを演じたことはほとんどないです。ドラマでは胸部外科課長で、主人公のキム・アジュンさんの指導教授です。でもずっとアジュンさんを苦しめて、無理を強いるような役柄です(笑)」

ドラマ『名不虚伝』1話予告編(tvN公式映像より)

●こんな風にスタジオと劇場を行き来して、お仕事ばかりなんでしょうか? 趣味などは?
「私はそういうのがないんですよ。時間があればちょっと登山に行ったり、あとは他の人の公演を見に行ってお酒飲んで。こういうのが趣味です。良い作品を見たら楽しく飲んで、つまらない作品を見たら悪口言いながら飲んで(笑)。それが楽しいです。趣味というものがないので、本当に面白くない人間ですよ(笑)」

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時間が出来ても他の作品を見に行ってしまうというデヨンさん。「演出などには興味はないんですか?」と訊くと「あぁ」と首を横に振り「演じるほうがいいね」との答え。芝居に魂を捧げ、志を貫いてきた“役者バカ”の横顔が見えました。

そしてここで朗報をひとつ。11月に立教大学で行われるという、詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の生誕100年行事に、デヨンさんも参加される予定だそうです。取材時点ではまだ具体的なことは決まっていないとのことでしたが「詩の朗読をするのかな?」とおっしゃっていました。映画『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』などで、尹東柱の再評価が高まるなかでのイベントだけに、日韓で注目されるのは間違いなし。まだ一度も日本に行ったことがないという名優イ・デヨンを見られるチャンスです。詳しい情報は分かり次第、別途お知らせしたいと思います。

【←インタビュー前編】 【←インタビュー中編】


【プロフィール】イ・デヨン(이대연 Lee Dae-Yeon)
1964年11月13日生まれ。延世大学神学科在学中から「延世劇芸術研究会」という演劇サークルに所属し、1987年に初舞台を踏む。その後劇団「シンシ」の専属俳優となり、劇団「演友舞台」での活動を経て、現在は名優が名を連ねる劇団「チャイム」に所属。『年老いた泥棒話(늘근도둑 이야기)』『そこ(거기)』『蜚言所(B언소)』など、チャイムを主宰するイ・サンウの作、演出作品に多数出演している。2007年にはチェ・ミンシク、ユン・ジェムン、チェ・ジョンウと共演した『ピローマン(필로우맨)』が大きな話題を呼んだ。また2012年にはシンシカンパニー制作、キム・グァンボ演出で上演した畑澤聖悟原作の『親の顔が見たい(니 부모 얼굴이 보고 싶다)』にも出演している。テレビドラマは現在、韓国で放送中のキム・ナムギル、キム・アジュン主演『名不虚伝』に出演中。ほかナ・ムニ、イ・ジェフンと共演した映画『アイ・キャン・スピーク(아이 캔 스피크)』が9月に公開を控えている。
●公式サイト:http://justright.co.kr/lee-dae-yoen/


取材・文:さいきいずみ 翻訳:イ・ホンイ ポートレート撮影:キム・ジヒョン

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