土田真樹の「エーガな日々」Vol.5 

 

「釜山国際映画祭の葛藤」-独立性と行政の狭間で-

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昨年の釜山国際映画祭レッドカーペットの模様 ©Maki Tsuchida

年も変わって世間が落ち着きを取り戻した1月23日、韓国映画界に激震が走りました。
釜山市による行政監査の結果、釜山国際映画祭の予算の使い方や運営に不備があるとして、イ・ヨングァン実行委員長に対して辞任勧告が出されました。事実上の更迭です。これに対して韓国の映画関係者は「映画人非常対策委員会(영화인비상대책위원회)」を立ち上げ、イ・ヨングァン委員長支持の立場を表明しました。これまでも釜山市による監査は毎年行われてきましたが、なぜ今になって問題が指摘されたのでしょうか。この事は行政の釜山国際映画祭に対する干渉、すなわち映画祭の独立性維持に関わっているのです。

事の始まりは、昨年開催された第19回釜山国際映画祭に遡ります。
釜山国際映画祭は、セウォル号沈没事件における救助活動の不条理を追ったドキュメンタリー映画『ダイビングベル(다이빙벨)』の上映を決めました。しかしながら、政治的中立性に欠けるとして、当時の釜山市長は映画祭に対して上映差し止め要求を出しました。しかしながら、映画祭側はこれに応じず予定通り上映を行いました。
映画そのものは、ショッキングと呼べるような内容ではなく、多くの上映作品の内の一本として上映されたのですが、市長の要求を拒否したことから、釜山市と釜山国際映画祭との間でトラブルの火種は燻り始めていたのでした。

映画『ダイビングベル』予告映像(YouTube公式チャンネルより)

そして、1月23日に釜山市がイ・ヨングァン委員長に出したのが引責辞任勧告。映画祭として再生するためには新たなパラダイムが必要だというわけで、第1回釜山国際映画祭から関わってきたイ・ヨングァン実行委員長の既定路線を否定するものでした。
釜山国際映画祭は、今年で20回目を迎えます。僕は第1回から毎年釜山国際映画祭に訪れており、映画祭としての試行錯誤を見届けてきました。回を重ねていくごとに混沌とした面白みが削がれてきた寂しさはありますが、映画祭としては形を整え、今や東アジアを代表する映画祭になったと思います。
釜山市が要求する新たなパラダイム作りは、マンネリ化を防止するために必要かもしれませんが、既定路線が映画祭の運営を大きく損なったとは考えられません。
今回の辞任勧告は韓国映画界だけにとどまらず、ベルリン国際映画祭やロッテルダム国際映画祭の実行委員長らも遺憾の意を表し、世界の映画祭へと飛び火し、拡散を続けています。

しかしながら、イ・ヨングァン委員長を擁護し支持するという韓国映画界の総意が固まりかけた頃、釜山市は釜山国際映画祭の実行委員長を2人体制にすると、2月17日に電撃発表しました。韓国映画界には、「イ・ヨングァン委員長が保身のために釜山市の提案を受け入れたのでは?」という疑心暗鬼が走りました。
そしてイ・ヨングァン委員長が出席して韓国映画界の有識者から釜山国際映画祭としての新たなパラダイムを模索する公聴会が3月10日にソウルプレスセンターで行われることになりました。

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公聴会出席者(写真左から)イム・グォンテク監督、パク・チャヌク監督、イ・ヨングァン実行委員長 ©Maki Tsuchida

公聴会には、イム・グォンテク監督、パク・チャヌク監督、クァク・ヨンス氏(インディーストーリー代表)、シム・ジェミョン氏(ミョンフィルム代表)、ミン・ビョンロク氏(東国大学教授)が出席して行われたのですが、公聴会は重苦しい雰囲気に包まれることとなりました。
公聴会に先立ち、イ・ヨングァン委員長から「実行委員長2人体制を映画界の皆さんに相談なく応じたことをまずは謝罪します。新しい委員長は映画界から信任を得られる人物とし、私は1~2年後に委員長職を退く所存です」と電撃発表。新しいパラダイムどころか、出席者は一様にイ・ヨングァン委員長を慰留するのに必死で公聴会どころではありません。
詳細は割愛しますが、イ・ヨングァン委員長辞任を受け入れることは、映画祭としてだけでなく韓国映画界全体が芸術としての軸を揺るがされることになります。出席者の中からは、「釜山市の助成金なしで開催しろ」、「(去年、ソウルから釜山に移転した)KOFICをソウルに戻せ」という意見も出ましたが、公聴会そのものは平行線をたどり、結論が出ないまま終りました。

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「釜山国際映画祭 未来のビジョンと刷新案を用意するための公聴会」の様子 ©Maki Tsuchida

イ・ヨングァンさんは元々中央大学映画学科の教授。釜山国際映画祭の業務に集中するため教授職を辞し、居を釜山に移すほど、釜山国際映画祭に取り組んできたことは確かです。しかし、実行委員長職慰留は、恐らくかなうことはないでしょう。それほどまでに彼の意志は固いといえます。
さて、こうなってくると得する人は誰でしょうか? 委員長が変わるということは、ブレーンとなるスタッフの入れ替えもあります。となると、空いたポストには釜山市サイドの意向を反映した人材が配置される可能性も否定できません。
韓国を代表を全州国際映画祭、プチョン国際ファンタスティック映画祭においても、行政や映画祭後援会の意向に沿った人材を採用したため、御用映画祭に転落した感も正直あります。
釜山国際映画祭にとっては20回目の節目となる2015年。華やかなイベントが催されるでしょうか、実を伴わない虚構に魅力は感じられないでしょう。

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