ソウル市内ににある劇場のなかでも重要な公演拠点のひとつになっているドゥサン(斗山)アートセンターのSpace111で中津留章仁原作の『背水の孤島』韓国版が、6月10日~7月5日まで上演されました。
「ドゥサン人文劇場-不信の時代」と題した3作連続上演を締めくくる作品として上演された『背水の孤島』は中津留氏が主催する劇団TRASHMASTERSが2011年、12年に上演し紀伊国屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞選考委員特別賞など多数受賞した作品。東京・永田町―石巻―そして12年後の都内警備会社と3つのシーンに分け、震災後の日本をリアルに切り取った物語です。(詳しいストーリーは国際交流基金のサイトに紹介されています)
台本翻訳・構成を手掛けた、日本の舞台シーンにも造詣が深いイ・ホンイが“不信の時代”というテーマにピッタリだと劇場に推薦して上演が決定。演出は『アリバイ年代記』で東亜演劇賞など昨年の主要演劇賞をさらったキム・ジェヨプ、美術を『飛行少年KW4839』など最近は演出家としても活動する舞台デザイナーのヨ・シンドンと気鋭のスタッフが名を連ね、キャストも数々の話題作に出演した実力派がズラリ。近年稀に見る完成度の高さと俳優たちの熱演は口コミで評判が広がり、公演後半はチケットが連日完売する大ヒットとなりました。
この上演が注目度を高めたもう一つの要因として、4月に起きた「セウォル号沈没事故」は外せないでしょう。事故後、国の災害対策の比較材料としてニュース番組では東日本大震災が大きく取り上げられ、韓国の人たちは改めて関心を寄せていたからです。自国の災害対策の無力さ痛感した“アフター4.16”を経験したからこそ、この作品は一段とリアリティをもって観客に受け入れられたはず。失礼な言い方ですが、大きなクライシスを経て冷静さを取り戻しつつあったなかでの、“絶妙なタイミング”の上演だったのです。
7月1日に原作者の中津留章仁氏が訪韓し、上演後、演出家のキム・ジェヨプ氏とともにアフタートークが行われました。3時間弱の公演後、トークは夜11時を回ってスタートしたにもかかわらず、キム演出家がウォーミングアップとして最初の質問をした後は、客席から次々と手が上がり、観客たちの作品に対する関心の高さが伝わってきました。
公演終了から時間が経過してしまいましたが、大きな意義ある上演だった韓国版上演での観客との対話の様子を紹介したいと思います。
●キム・ジェヨプ 「背水の孤島」を執筆したきっかけは?
中津留「3.14の震災があったあと、石巻市にボランティアに行きました。缶詰を拾ったり、瓦礫の撤去だったり、ある家庭の位牌を探してほしいとか、金庫を探してほしいとかいろんな依頼があったんですけども、そういったことを通して、地元の人やボランティア、報道の方などと触れ合っていくなかでこの作品の着想を得たわけです」
●キム・ジェヨプ 執筆からいま2年経っていますが、当時は震災を取り上げた作品としてはかなり早かったのではないでしょうか? 急いで作品に仕上げた理由は?
中津留「津波の被害や放射能の被害がどうなっていくのか、分からない状態で作品にまとめていく作業は非常に危険な作業だったわけです。日本の劇作家はある程度結果が出てから総括して書く、というタイプが多いような気がするんですね。この作品の場合は結果がほとんど分からない状態での執筆だったわけです。なぜそういう選択をしたのかというと、時間が経った後では総括はできると思うんですけど、その時の人間の心情や心の痛みや感じたことは時間が経つと薄れていくのではないかという危惧がありました。もちろん時間が経ったほうが近未来を描くうえではもっと正確な提示が出来たかもしれないんですけども、そのリスクよりも私は人間の心情を描くべきだと思ったんです。この作品を通じて心の痛みとか辛さ、この出来事をずっと忘れないための大きなものにするためだったんです」
●観客1 今日芝居をご覧になってどう思われたかお伺いしたいです。
中津留「まず、俳優陣の熱演に好感を持っています。それとキム・ジェヨプさんの演出のスマートさにも感心しています。日本ではもっとセットにリアリティがあったんです。(韓国版は)少し抽象的なセットになっていますね。抽象的にすることによって人の動きやどこのシーンを立てるかというのが明確になっていたと思います。何よりも俳優のエモーショナルな演技に共感しました」
●観客2 日本では今もメディアで取り上げられたり、人々が危険性を実感したりしていますか?
中津留「日本人の特徴、と言っていいのか分からないですけど、こういう事実があるということは大体の人が知っていると思います。ところがこれを胸に抱いたまま生きていくのは非常に困難です。そこで日本人は上手く忘れてみたり、現実を逃避するような気持ちの切り替えをすることによって、何とかこの現実から目をそむけながら生きているわけです。政府の方針もそういうことを助けているかもしれないですね。演劇というものは市民のものだと考えているので、政治がどうだとか経済がどうだとか、というのがあっても芸術というものは対等でなければならないと思っています。政治や経済などから解き放たれたところで表現をしなければいけないと私自身も思っていますし、観客自身もそういった芸術に触れることによって、より自由な視点や生き方を考えていく。そういう観客とのやり取りを我々も目指しています」
●観客3 企業や政府の描写について、実際に起こっていることをベースにしているのでしょうか? どういう事件やどういう点に共感されたのでしょうか。
中津留「(震災後の政府の対応や報道などについて語る)最初の甲本のナレーションというのは、実際にあったことだそうです。創作の部分もありますし、現実に基づいているところもあります。日野自動車が(創業地である)日野市から撤退するという部分などもリアルにあることですね。トヨタ(自動車)のところは噂、という部分で留まっています。そういう部分は創作だと考えてください。それから石巻でのシーンは基本的に創作です。あの~…私は酷い話を書くのが得意な作家です(笑)。人間の業、というか、悪いほうに悪いほうに転がっていくような話をよく書きます。そのほうが人間の本質や、本当に人間が何を選ぶかというドラマを描けるからです。(12年後の様子を描いた)3場(韓国公演では2幕)はほぼ創作です。ところが、最近その3場の世界観が現実化しています。その辺がちょっと面白いところでもあります」
●観客4 1幕の最後で太陽と夕(注1)の台詞に、死体を見ながら「綺麗だ」というシーンがありますが、それは石巻にボランティアに行かれたときに直接聞かれたり経験されたことなのでしょうかか? 死体を見た印象に「綺麗だ」という言葉をもってこられた理由を知りたいです。
注1:石巻の被災地に父と3人で暮らす姉弟。夕(ゆう)は大学生、太陽は高校生。
中津留「それは私の創作です。まぁ、それが“文学”じゃないですかね(照笑)。ズルい答えですけど(笑)。やっぱり死体と綺麗というのは絶対に繋がらない言葉じゃないですか。この作品なら、その言葉と言葉の隙間を掴むことができるような気がしていて、甲本のナレーションを書きながら、どういう風に組み立てようかと思って、その構想を掴んだときに“あ、これで書ける”と思いました」
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