●まず、作品の舞台であるドイツに行かれることになったきっかけを教えてください。
「大学で“研究年”というのがあります。6年大学で教授として勤務すれば、1年休ませてくれる。韓国の大学にはこのような制度があります。それで、1年くらい海外で暮らしてみたいなと思ったんです。旅行は行ったことあるんですが、海外で暮らした経験はなかったので。今回は、ベルリン芸術大学から訪問教授として研究員ビザが出て、妻と息子と一緒にベルリンで一年間過ごせました」
●演劇の本場であるイギリスやアメリカではなく、なぜドイツに?
「2回ほどベルリンに行ったことがありました。最初に行ったのは、あるリサーチプログラムがあって、僕は演劇担当者として10日くらいベルリンに行き、いろいろと調べる仕事をしました。あの時、やっぱりここは違うな~と感じられたんです。リサーチをするために行ったので、報告書も書かなければならなかったのですが、その経験を経て僕に合う場所だと思ったし、もっと知りたいと思いました。その後、ドゥサンアートセンターで2014年に演出した『背水の孤島』が終わってすぐドイツ語が勉強したくて行ってきました。実は、高校のときに第2外国語もドイツ語だったんです。みんな留学は英語圏によく行くんですが、最近アメリカ演劇は、新しいというか前世代を超える何かが出てこないんですね。イギリスも戯曲はいいものがたくさん出ていますが、演劇を作ることにおいては自由ではないというか、演劇が公共的な産物である認識があまりないんです。でも、ドイツに行ってみたら、社会が力動的に動いているように見えて、演劇とか公共性のシステムが互いに影響を与え合いながら動いていたので、演劇人は自分の仕事に対して公共性、つまり公的なサポートを受けて作品を作っていることをちゃんと考えていたのが印象的でした」
●ドイツでは、韓国の演劇とはどのような点が違いましたか?
「リサーチプログラムの時に色々と分かったんですが、首都ベルリンには、公共劇場が50館くらいあるんです。ベルリンだけで、です。もちろん、演劇だけではなくてオペラなども上演できる公立劇場ですね。その劇場を回りながら、いわゆるメジャーな作品を見たんです。でも、今度は実際に暮らしながらマイナーな作品も見始めたんです。すると、マイナーな作品は地域的な特性がとても強い。韓国は大学路とか明洞みたいに、スポットがぎゅっと集まっているんですね。一方ドイツは、地域ごとにコミュニティーが形成されているんです。例えば、旧東ベルリンの国境地帯は少数民族や貧しい人々が住む危なくて汚いところで、移民の地域なんです。それがベルリンの壁崩壊後、統一されてからそこに芸術家が暮らすようになり、新しくよみがえったんです。芸術家がいろんな役割を果たしているから、地域政府や国家もたくさん支援をしていました。
今も、ノイケルン(Neuköln ※地名)辺りに行くと、しまった、来なければ良かったと、一瞬思うのですが、それでも昔に比べるとずいぶん変わりました。劇場もあるし、子ども博物館もある。そのなかの上演作を見てみると、例えば、オペラを作っても「オペラ」ではなく、「ノイケルンオペラ」と呼びます。自分たちは、オペラを良く知らないから、正統派のオペラは作れないと言って、独自のオペラを作るんです。劇場に行くと、クーラーもないから扇子を配っていて(笑)。でも見てみるといい作品なんですよね。とてもオルタナティブで、韓国で言うなら、アングラミュージカルみたいな感じで。ドイツではミュージカルという呼称は海外のライセンス作品を指すようで、彼らが作る作品は“音楽劇”と呼んでいました。
それにノイケルンという地域の特性を生かす芸術家が多いです。なぜかというと、芸術監督たちが移民2世だからです。歴史的に見ても、ベルリンには移民の労働者が多いのですが、その人たちはベルリン人、ドイツ人にならなければという意識もあまりなかったです。ドイツはヒトラー/ナチスの時代があったので、誰にも全体主義を強要してはいけないことをよく知っていますから。だから、多文化コードを生かした方が、より自分のアイデンティティとか競争力になると見ているんです。
それから、クロイツベルグ(Kreuzberg)辺りもアンダーグラウンドですね。ここで成功した芸術監督がマクシム・ゴーリキー劇場(Maxim Gorki Theater)の芸術監督としてスカウトされている。この劇場はドイツで最もメジャーな観光客が一番よく行く劇場ですね。以前行ったときにはとても古い印象を受けたんですが、新しい監督になってからは、かなり変わりました。彼は今はまたシャウビューネ(Schaubuehne)という劇場に移ったのですが。
とにかくドイツで分かったことは、アンダーグラウンドでうまくやっていけば、アンダーグラウンド的なハードウェアやソフトウェアをそのままオーバーグラウンドに持っていけることです。それが同時代のイシュー(話題)であり重要な作品なので。アンダーとオーバーの世界が区分されていないことでしょう。公共劇場の芸術監督たちが集まって国の政策を批判する記者会見を開き、宣言文を読み、デモしに行くんです。この人たちみんな税金もらって働いている人たちです。それが、韓国ととても違うなと思いました。
ベルリンに行ってみたら、すべての劇場が公立で、公共性を持っていて、彼らは今の政策の話をしていました。ドイツ座(Deutsches Theater)は、最も保守的な劇場なんですが、帰国する前にその劇場でドラマターグ協会が開くフェスティバルがあって行ってみたら、演劇人が政治的に何をするべきかについて5日間カンファレンスや公演をしていたんです。
よく見ると、すべての劇場が政治的な演劇をやっているようでした。それで“何でみんな政治的な演劇をするのか?”と聞いてみたら、“政治的な演劇をやらないと何をするんだ?”と言われました。もちろん、商業劇をやっている劇場もあるんですが。要は、彼らは政治的なイシュー、今一番問題になっているイシューを扱って作品を作るのが自分たちの義務だと思っているようでした。公共劇場で、旬の話題を扱う作品をやらないのは無責任だと思っているんでしょう。
公共劇場も、韓国の公共劇場よりずっと汚れています。なぜかというと、シャウビューネやドイツ座みたいな権威ある劇場に行っても、朝から子どもたちが遊んでいるんです。昼間には町の人たちが講演、朗読会、出版記念会などで使っていて、夜にはプロ劇団が使います。とても有名な俳優も地域の住民のためにワークショップをしないといけません。国立団体に所属する俳優は、契約期間の間、例えば5年間は外部の仕事は絶対してはいけません。出演料とは別に月給を400万ウォンくらいもらいますから。あと、終演後には俳優は観客と一緒にビールを飲むんです。義務ですね。地域ととても密接な関係なんです」
取材・文:イ・ホンイ 取材協力:ドゥサンアートセンター
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