釜山国際映画祭

土田真樹の「エーガな日々」Vol.10

土田真樹の「エーガな日々」Vol.10

 

第20回釜山国際映画祭リポート

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第20回釜山国際映画祭公式ポスター

今年で20周年を迎え、10月1日より開幕した第20回釜山国際映画祭(公式サイトFacebookツイッターに行ってきました。
昨年、多くの乗客が犠牲になった、セウォル号沈没事件における政府の対応を避難した映画『ダイビングベル(다이빙벨)』が政権与党でもある釜山市長を刺激し、釜山国際映画祭に対して上映差し止め要求を出したのですが、映画祭の独立性の旗印の下、映画祭サイドはこれを無視して上映を強行し両者の間には溝が深まりました。この顛末は、僕の第5回コラムで詳しく紹介しています。

そのせいか、釜山市の釜山国際映画祭への割当予算、国庫補助金ともに削減され、一説によると昨年比で20~30%減という厳しい予算での開催になりました。
ゲストの数も昨年より減ったのか、映画祭会場でもある海雲台のホテルの予約が今年は取りやすかったという裏話もあります。

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開幕式司会を務めたソン・ガンホ(右)とマリナ・ゴルバハーリ

のっけからお金の話をして恐縮ですが、ともあれ厳しい予算でありながら映画祭としての体裁は立派に保ったと、僕は思います。オープニングセレモニーはレッドカーペットイベントから始まり、華やかな韓国伝統結婚行列のパレードに続き、韓国を代表するソプラノ歌手であるスミ・ジョ―(チョ・スミ)が「アリラン」を熱唱しました。司会はソン・ガンホとアフガニスタン女優のマリナ・ゴルバハーリが進行しましたが、ソン・ガンホは司会経験がほとんどないこともあってか、ややぎこちなさが残り、ゴルバハーリよりも昨年のムン・ソリのほうが英語の実力が上かなと感じました。本業は役者なので仕方ありませんけどね。ともあれ、釜山国際映画祭は今年もソツなく始まりました。

開幕式の会場全景(写真左)/祝歌「アリラン」を歌ったスミ・ジョー

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今年から共同実行委員長になった韓国第1号ワールドスター女優カン・スヨン/レッドカーペットに登場したチョン・ウソン(左)とチュ・ジフン

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『思悼(サド)』舞台挨拶の様子(写真左)と、野外オープントークに登場した”時の人”ユ・アイン

翌日からは映画上映と各種イベントが始まります。海外からの招待作品は多いのですが、もちろん最多は韓国映画。今年は話題作が豊富だったこともあり、多くの話題作が上映されました。中には『思悼(サド/사도)』のように、映画祭期間中にも劇場で公開中の作品も上映されるほどでした。そして、釜山国際映画祭で話題沸騰だったタレントは、この『思悼』に出演したユ・アインでしょう。上映会場はもとより、オープントークが行われた海雲台ビーチではユ・アインを見るために徹夜組が出ただけでなく、トークショーの時間は周辺の道路の流れが麻痺するほどのフィーバーぶりでした。ユ・アインは『思悼』だけでなく、観客動員数1000万人越えを達成した大ヒット作『ベテラン(베태랑)』にも出演しており、今一番ホットな若手韓国人俳優といえるでしょう。

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中華圏からゲストが多数来場。中国で活動する韓国人俳優ハン・ジソクとサイモン・ヤム(任達華)/ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督とチャン・チェン(張震)

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台湾のチェン・ボーリン(陳柏霖)はソン・イェジンをエスコートしてレッドカーペットに登場(左)/キム・テヨン監督と結婚後、韓国でさらに人気上昇したタン・ウェイ(湯唯)

釜山国際映画祭を訪れたのは韓国人ゲストだけではありません。日本からは『ピンクとグレー』の行定勲監督、中島裕翔、菅田将暉が舞台挨拶を行い、佐藤健や長澤まさみが参加しました。中華圏で圧倒的人気を誇るチェン・ボーリンとタン・ウェイ。ワールドスタークラスではハーヴェイ・カイテル、ティルダ・スウィントン、ソフィー・マルソーが海雲台ビーチでオープントークショーを行ったほか、審査員としてナスターシャ・キンスキーが映画祭全期間、釜山に滞在しました。

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『ピンクとグレー』の行定勲監督、中島裕翔、菅田将暉の舞台挨拶にはファン大集合!

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『海街diary』の是枝裕和監督と長澤まさみは野外ステージのオープントークにも登場(写真左)/アジアキャスティングマーケットの日本代表として参加した佐藤健

しかしながら、キラ星のようなスターを見るのも映画祭の楽しみですが、最大の魅力は、監督に直接質問をぶつけることができるQ&Aの時間でしょう。映画を見て気になったことを訊くことができるのは、映画祭ならではの醍醐味といえるのではないでしょうか。
そして、夜になると彼らが海雲台の屋台や飲み屋に出没して映画談義にくだを巻く、もとい花を咲かせている光景をよく目にします。

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映画上映後のGVは観客との交流の場。『ベテラン』のリュ・スンワン監督と俳優ファン・ジョンミン(写真左)/『二十歳』のイ・ビョンホン監督、俳優カン・ハヌル、ジュノ(2PM)

ここまで読むといいとこ取りの映画祭のように見えますが、光もあれば影もあります。
釜山国際映画祭のもひとつの顔といえるのが、フィルムマーケットですが、こちらは昨年に比べてバイヤーとセルラーへの優遇策が改悪されたようで、昨年に比べてマーケットにブースを出すコストがかかっていると、知り合いの映画会社の関係者はボヤいていました。それでも取引が活発に行われればよいのですが、明らかに昨年よりもマーケット会場を歩いている関係者は少なく、このまま先細りするのではまいかと危ぶまれるところです。

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大物ハリウッドスターも来韓! ティルダ・スウィントン(左)とハーヴェイ・カイテル

また、これまでの釜山国際映画祭の魅力のひとつが、映画人との映画ファンの近さだったのですが、それも近年は少々変わってきました。
かつては、映画スターが飲んでいるところへファンが顔を覗かせても気持ちよく対応する光景がよく見られたもので、例えば、チャン・グンソクとソン・ヘギョが日本の女性ファンと屋台で意気投合して楽しそうに話している光景を僕は見かけたこともあります。
しかしながらセキュリティの問題もあるのでしょうか、お店全体を借りきって入口にはガードマンを立たせるなど、ファンが近づけないようにしています。
現在の様子を見ると、昔の釜山国際映画祭は自由でした。釜山の旧市街地の中心部である南浦(ナンポ)洞で行われていた頃は、著名な映画人を屋台で見かけるだけでなく、道路にゴザを敷いて釜山の地元焼酎であるC1に喉を鳴らす姿をよく見かけたものです。
国際映画祭の体裁が整っていくことは、こうしたカオスが淘汰されていくことを意味し、で国際標準という味気ないものになることでもあるのです。

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80年代に世界的人気を博したトップスターも参加。『ラ・ブーム』の仏女優ソフィー・マルソー(写真左)/『パリ、テキサス』などで知られるナスターシャ・キンスキーは「ニューカレンツ審査委員」として参加。ハンドプリンティングイベントも行った

ともあれ、第20回釜山国際映画祭は大きな事故もなく、10月10日にクロージングを迎えました。総観客動員数は227,337人と過去最高を記録し、まずは大成功だったといえます。
前述したように予算は大幅に削られたとはいえ、これほどの成果を出したのは、映画祭に魅力があるからにほかなりません。今年から共同執行委員長になったカン・スヨンが「映画祭の主役は観客」と決算記者会見で述べたように映画ファンのみならず、釜山国際映画祭ファンの皆さん。強いて言えば、お祭り好きの国民性がそうさせているのかもしれませんね。
この勢いを持続して、来年は更にパワーアップした釜山国際映画祭になることを信じています。

韓国日報で連載している「韓国に暮らして」というコラムに拙稿「釜山国際映画祭の思い出」(⇒記事へ)と題し、第一回釜山国際映画祭にボランティアスタッフとして参加したときの体験談を紹介しております。
試行錯誤を模索していた釜山国際映画祭のドタバタぶりは、ある意味コメデイともいえます。
コラムは韓国語ですが、翻訳サイトなどを利用すると日本語でも読めます

写真提供:©2015 BIFF  ©韓劇.com All rights reserved. 記事・写真の無断使用・転載を禁止します。

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土田真樹の「エーガな日々」Vol.5 

土田真樹の「エーガな日々」Vol.5 

 

「釜山国際映画祭の葛藤」-独立性と行政の狭間で-

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昨年の釜山国際映画祭レッドカーペットの模様 ©Maki Tsuchida

年も変わって世間が落ち着きを取り戻した1月23日、韓国映画界に激震が走りました。
釜山市による行政監査の結果、釜山国際映画祭の予算の使い方や運営に不備があるとして、イ・ヨングァン実行委員長に対して辞任勧告が出されました。事実上の更迭です。これに対して韓国の映画関係者は「映画人非常対策委員会(영화인비상대책위원회)」を立ち上げ、イ・ヨングァン委員長支持の立場を表明しました。これまでも釜山市による監査は毎年行われてきましたが、なぜ今になって問題が指摘されたのでしょうか。この事は行政の釜山国際映画祭に対する干渉、すなわち映画祭の独立性維持に関わっているのです。

事の始まりは、昨年開催された第19回釜山国際映画祭に遡ります。
釜山国際映画祭は、セウォル号沈没事件における救助活動の不条理を追ったドキュメンタリー映画『ダイビングベル(다이빙벨)』の上映を決めました。しかしながら、政治的中立性に欠けるとして、当時の釜山市長は映画祭に対して上映差し止め要求を出しました。しかしながら、映画祭側はこれに応じず予定通り上映を行いました。
映画そのものは、ショッキングと呼べるような内容ではなく、多くの上映作品の内の一本として上映されたのですが、市長の要求を拒否したことから、釜山市と釜山国際映画祭との間でトラブルの火種は燻り始めていたのでした。

映画『ダイビングベル』予告映像(YouTube公式チャンネルより)

そして、1月23日に釜山市がイ・ヨングァン委員長に出したのが引責辞任勧告。映画祭として再生するためには新たなパラダイムが必要だというわけで、第1回釜山国際映画祭から関わってきたイ・ヨングァン実行委員長の既定路線を否定するものでした。
釜山国際映画祭は、今年で20回目を迎えます。僕は第1回から毎年釜山国際映画祭に訪れており、映画祭としての試行錯誤を見届けてきました。回を重ねていくごとに混沌とした面白みが削がれてきた寂しさはありますが、映画祭としては形を整え、今や東アジアを代表する映画祭になったと思います。
釜山市が要求する新たなパラダイム作りは、マンネリ化を防止するために必要かもしれませんが、既定路線が映画祭の運営を大きく損なったとは考えられません。
今回の辞任勧告は韓国映画界だけにとどまらず、ベルリン国際映画祭やロッテルダム国際映画祭の実行委員長らも遺憾の意を表し、世界の映画祭へと飛び火し、拡散を続けています。

しかしながら、イ・ヨングァン委員長を擁護し支持するという韓国映画界の総意が固まりかけた頃、釜山市は釜山国際映画祭の実行委員長を2人体制にすると、2月17日に電撃発表しました。韓国映画界には、「イ・ヨングァン委員長が保身のために釜山市の提案を受け入れたのでは?」という疑心暗鬼が走りました。
そしてイ・ヨングァン委員長が出席して韓国映画界の有識者から釜山国際映画祭としての新たなパラダイムを模索する公聴会が3月10日にソウルプレスセンターで行われることになりました。

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公聴会出席者(写真左から)イム・グォンテク監督、パク・チャヌク監督、イ・ヨングァン実行委員長 ©Maki Tsuchida

公聴会には、イム・グォンテク監督、パク・チャヌク監督、クァク・ヨンス氏(インディーストーリー代表)、シム・ジェミョン氏(ミョンフィルム代表)、ミン・ビョンロク氏(東国大学教授)が出席して行われたのですが、公聴会は重苦しい雰囲気に包まれることとなりました。
公聴会に先立ち、イ・ヨングァン委員長から「実行委員長2人体制を映画界の皆さんに相談なく応じたことをまずは謝罪します。新しい委員長は映画界から信任を得られる人物とし、私は1~2年後に委員長職を退く所存です」と電撃発表。新しいパラダイムどころか、出席者は一様にイ・ヨングァン委員長を慰留するのに必死で公聴会どころではありません。
詳細は割愛しますが、イ・ヨングァン委員長辞任を受け入れることは、映画祭としてだけでなく韓国映画界全体が芸術としての軸を揺るがされることになります。出席者の中からは、「釜山市の助成金なしで開催しろ」、「(去年、ソウルから釜山に移転した)KOFICをソウルに戻せ」という意見も出ましたが、公聴会そのものは平行線をたどり、結論が出ないまま終りました。

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「釜山国際映画祭 未来のビジョンと刷新案を用意するための公聴会」の様子 ©Maki Tsuchida

イ・ヨングァンさんは元々中央大学映画学科の教授。釜山国際映画祭の業務に集中するため教授職を辞し、居を釜山に移すほど、釜山国際映画祭に取り組んできたことは確かです。しかし、実行委員長職慰留は、恐らくかなうことはないでしょう。それほどまでに彼の意志は固いといえます。
さて、こうなってくると得する人は誰でしょうか? 委員長が変わるということは、ブレーンとなるスタッフの入れ替えもあります。となると、空いたポストには釜山市サイドの意向を反映した人材が配置される可能性も否定できません。
韓国を代表を全州国際映画祭、プチョン国際ファンタスティック映画祭においても、行政や映画祭後援会の意向に沿った人材を採用したため、御用映画祭に転落した感も正直あります。
釜山国際映画祭にとっては20回目の節目となる2015年。華やかなイベントが催されるでしょうか、実を伴わない虚構に魅力は感じられないでしょう。

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